第四章 動き出した時間 場面三 東方からの使者(三)
「アウグストゥス」
ティベリウスは、アントニアが書簡を読み終えるのを待たずに言った。
「心よりお悔やみ申し上げます」
静かな口調だった。ティベリウスの言葉に、アウグストゥスは反応しなかった。しばらく沈黙がある。
「母上」
ティベリウスは落ち着いた口調のまま言った。
「皆をどうしますか。もし、散会とした方がよいようでしたら、指示を出しますが」
リウィアは答えない。アウグストゥスも黙ったままだった。少し間をおいて、ティベリウスは言った。
「アウグストゥス。一旦戻って、アスプレナスに指示を出します」
アウグストゥスはようやく顔を上げた。その目は充血して真っ赤だった。悲しみの凝った目で継子を睨みつけ、アウグストゥスはしわがれた声で言った。
「帰れ」
「―――」
ティベリウスにすれば、思ってもみない反応だっただろう。口をつぐみ、アウグストゥスを見つめた。アウグストゥスは立ち上がり、自分よりも頭ひとつ分以上高い継子の胸倉をつかんだ。
「帰れ! 貴様、言うことはそれだけか? それだけか、この忌々しいクラウディアンめ! ガイウスが、わたしのガイウスが……非業の死を遂げたというのに、貴様には同情の心さえないのか、この人でなしが!」
「叔父上」
アントニアは唖然とした。悲しみのあまりとはいえ、あまりにひどい物言いだった。ティベリウスは何もアウグストゥスに対する同情の欠如から先刻のように言ったわけではない。責任感の強いティベリウスにすれば、主だった人々が次々に退室して心もとない気持ちでいるであろう宴の面々を気遣ったに過ぎない。アウグストゥスもリウィアも明確な指示を出さない以上、それを行えるのはこの場ではティベリウスしかいないではないか。
止めに入ろうとしたアントニアを、ティベリウスは軽くかぶりを振って制した。
「ティベリウス―――」
「そなたが安穏と日々を送っている間に、ガイウスはローマのために力を尽くした。どんな困難な任務でも怯まず引き受けた。ローマと、このわたしのために。卑怯にも己の責務を放棄し、安楽な生活に逃げ込んだそなたの代わりに、あの若さで重責を担ったのだ。わたしのガイウスがどんなに苦しんだか。そなたとて知っていたはずだ。知らなかったとは言わせぬ。わたしのガイウスの苦しみを、そなたは知りながら見殺しにした。本来ならそなたが果たすべき任務だったのだ。判っているはずだ。そなたさえ―――」
そなたさえ。
そなたさえ、いてくれたら―――
その後に続く言葉を、アントニアは聞いた気がした。それが継子を詰り続けるアウグストゥスの本音なのだ。アウグストゥスには、ティベリウスが必要だった。その助けを切実に欲していた。だが、ティベリウスは動かず、アウグストゥスも折れなかった。その結果がこれなのだ。ガイウスの死。重責に耐えかねた二十二歳の、痛ましい死。
アウグストゥスはティベリウスを睨みつける。その目から溢れた涙が、老いた第一人者の頬を濡らしていた。
「何とか言ったらどうだ、この卑怯者が! そなたが殺したのだ、そなたのせいだぞ!」
ティベリウスはじっと黙っていた。理不尽な―――アントニアにはそう思えた―――非難に反論もせず、怒りはおろか、何の感情も表さずに突っ立っていた。アウグストゥスは石のように押し黙った継子の身体を突き放した。
「帰れ!」
ティベリウスはリウィアに目を向ける。リウィアはじっと黙ったまま、夫と息子を見つめていた。夫を止める様子はなく、むしろ息子に注ぐ視線は奇妙に冷ややかだった。
「後はお願いします」
ティベリウスはそれだけを言って一礼し、踵を返す。アントニアはその後を追おうとしたが、気配に気づいたティベリウスは再びそれを制した。足早に応接を出てゆく背に、アントニアは声をかけられなかった。