第四章 動き出した時間 場面三 東方からの使者(一)
ティベリウスが大食堂に姿を現した時、室内にやや緊張した空気が流れた。アントニアが入口を見ると、ティベリウスはドゥルーススを伴い、宴の時に身につける白い饗宴衣の姿で立っていた。ドゥルーススは今もアントニアの許にいるが、今日はティベリウスを迎えにエスクィリヌスに行ったのだ。
アウグストゥスは寝椅子に臥さず、立ったまま友人と話をしていたが、ティベリウスが到着したのを見ると一人で入口へと歩いていった。アウグストゥスがティベリウスと宴で同席するのは、恐らくドゥルーススの成人式の時以来だろう。ティベリウスとドゥルーススそれぞれと軽い抱擁を交わし、自ら席に案内した。席順は予め決められており、彼らに用意されたのは、既に席に臥していたゲルマニクスのところだ。席は三人用で、奥からティベリウス、ゲルマニクス、ドゥルーススの順に席につく。
アントニアは娘のリウィッラと同じ席で、隣の寝椅子にはアウグストゥスの孫であるユリアとアグリッピナが臥している。末っ子で今日の主役であるアグリッパ・ポストゥムスは、奥の席でアウグストゥスと共にいた。
やがてメンバーがそろうと、アウグストゥスの簡単な挨拶の言葉で宴会は始まった。
「お母様」
リウィッラがアントニアの袖を引く。
「兄様のところへ行ったら駄目?」
リウィッラは十三歳になったばかりで、兄のゲルマニクスにべったりの甘えん坊だ。体つきが貧相な上、顔には一面そばかすがあり、まだまだ子供の雰囲気が抜けない。それでも上流家庭の常で、既にガイウス・カエサルとの結婚が決まっている。そして、ゲルマニクスは十六歳のアグリッピナと婚約していた。そのせいもあって、リウィッラはアグリッナが気に入らないらしい。
「ドゥルーススがこっちへ来ればいいわ」
リウィッラはせがむように言う。
「もう少し待ちなさい。始まったばかりよ。ドゥルーススたちの邪魔をしては駄目」
「ドゥルーススったら単純だわ。あんなに伯父上を嫌ってたくせに」
リウィッラは悔しそうに言った。
「リウィッラ」
アントニアがたしなめる口調で名を呼ぶと、リウィッラは肩を竦め、「はあい」と言った。何が「はい」なのか、恐らく考えてもいないのだろう。ドゥルーススを単純だというこの娘こそ、実に単純な子だと思う。
ドゥルーススは一見従順で控えめだが、その実驚くほど芯が強い。義兄は、はなはだ子供向けとはいえない男だ。大人でさえ、あの不言実行型の義兄の行動には時に振り回される。ましてあの年齢の少年に、義兄の行動を理解しろなどというのは、土台無理な話だろうとアントニアは思う。厳しすぎると感じることもしばしばだ。
それでもドゥルーススは、父を信じた。父の愛情を信じ、自分から歩み寄っていった。中々出来ることではない。父に棄てられたアントニアだからこそ、余計にそう思う。
これで、アウグストゥスとティベリウスとの間で和解が成立すれば、本当に多くのことが解決するだろうに。アントニアだけではない。ローマ中がそれを望んでいるといっても言い過ぎではないのではないだろうか。こと互いのことに関する限り、ドゥルーススよりも、あの二人の方がよほど子供なのかもしれない。今日のこの晩餐が、少しでもそのきっかけになれるといいのだけれど。
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アントニアの願いは、思いもよらぬ形で現実のものとなった。確かにこの日をきっかけに、事態は大きく変わったのだ。だが、それは当事者同士の行動によってではない。きっかけは、東方からもたらされた一つの知らせだった。
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