第四章 動き出した時間 場面一 羊の群れ(一)
「アウグストゥスよ。これがあなたの築いた、新生ローマの姿なのか?」
アウグストゥスの孫で、後継者に予定されていたガイウス・カエサルが東方での任務に失敗し、アウグストゥスはその対応に苦慮していた。ティベリウスの目には、今の元老院は孫への温情から決断を下せない第一人者を非難する気概さえ失った、六百人の羊の群れと映る。ローマの危機を憂慮しながらも、ティベリウスは動かない。
運命の輪は再びティベリウスをローマの表舞台へと巻き込んで動き始めます。
【主な登場人物】
〇ガイウス・カエサル(BC18-AD4):アウグストゥスの孫で養子。両親はアグリッパとユリア。アウグストゥスの代理として東方に派遣されていたが、任務に失敗する。
「我が最も敬愛する凱旋将軍殿
アルメニアでの暴動鎮圧の際、ガイウス総司令官殿が負傷したことを先頃ご報告いたしましたが、今回もニュースがあります。彼はこともあろうに軍団を放棄し、逃亡いたしました。クィリニウス司令官が軍団を何とかまとめてはおられますが、我々は目的もなくこの地に留め置かれ、明日の行動さえ予測できない状態です。この地にゆかりある補助兵はかなりの数が逃亡し、軍団は崩壊寸前です。百人隊長の一人、あなたもご存知のマルクス・アピキウスは、第一人者は、いつ戻るとも知れない孫のためだけに、我々をこの地に空しく留め置くつもりかと、クィリニウス殿に食ってかかりました。大きな騒動にこそなりませんでしたが、皆気持ちは同じです。
また近いうちにご報告いたします。
あなたの友 S」
「我が最も敬愛する凱旋将軍殿
クィリニウス殿に、アウグストゥスから何度も書簡が届いています。伝令から聞いたところによると、先日の手紙を一読した際、司令官はあの冷静な方には珍しい汚い言葉で罵りの言葉を発したといいます。我々を見捨てて逃げたガイウス殿をでしょうか、それとも孫への愛情に盲目になった第一人者をでしょうか。
いささか口が過ぎたようです。ですが、我が凱旋将軍殿、われわれの気持ちもお察し下さい。栄光に満ちたローマの軍団兵が、総司令官に見捨てられ、この辺境の地で空しく時を過ごすことの屈辱を。それでもクィリニウス司令官は、各地を放浪するガイウス殿の警護の為に、一隊を割いてさえいます。我々の任務は、第一人者の孫のお守りなのでしょうか?
また近いうちにご報告いたします。こんな時、あなたにお目にかかれたらと切に思います。
あなたの友 S」
さして報告する事もないのだろう。つい先頃ティベリウスの手許に届いたのは、報告書というよりも私信といった性格のものだった。まだ若い「友」、二十五歳のルキウス・アエリウス・セイヤヌス―――セイユス家からアエリウス家に養子に入ったとのことで、「セイヤヌス(セイユス家出身の)」と呼ばれている―――の特徴は、良くも悪くも率直なところだった。現在苦労して軍団をまとめているスルピキウス・クィリニウスの評は、「ハメを外す時も働きも人一倍」というものだ。サモス島で出会ったこの若者は、何かあったら報せてくれ、と言ったティベリウスの言葉を正しく理解した。以来、決して返信されることのない手紙が、時に不思議なツテを辿ってティベリウスの許に届いた。