第三章 父の友人 場面六 傷
ティベリウスがローマを去ってから四日後、アントニアはブルンディシウムから二通の手紙を受け取った。一通はアントニア宛で、もう一通はアウグストゥスに宛てたものだ。アントニア宛の手紙はドゥルーススの無事を確認したことを述べた上で、ローマを発った時、あなたには随分心配をかけてしまって申し訳ない、と、率直な謝罪の言葉があった。ティベリウスは四、五日を向こうで過ごし、それからドゥルーススと共に戻ってくるつもりだと言う。アウグストゥス宛てのものは、そのことの許可を求める書面だろう。ティベリウスは現在元老院議員ではないから、許可を求める必要は必ずしもなかったのだが。
アントニアは義兄と甥が無事だったことにホッとした。ブルンディシウムからの使者を迎えた時のティベリウスは、動揺を通り越してほとんど混乱していた。眼は充血し、危険だからと制止したアントニアに、ほとんど食ってかからんばかりの勢いだった。ドゥルーススが死んで、既に十一年が過ぎている。それでも、まだこの義兄の傷は本当の意味で癒えてはいない。アントニアはその事を再認識する思いだった。
アントニアにとって、亡夫の事は既に思い出に変わっていた。互いに十七歳と十九歳の若さで始まり、十年間で終わった結婚生活を、アントニアは幸福な気持ちで思い出すことが出来る。ささいな喧嘩はあっても、互いの愛情を疑ったことはなかった。
助けられなかった―――とティベリウスは言う。ドゥルーススの死は、いかなる意味でもティベリウスの責任ではないだろう。互いに遠く離れた戦場にあり、ティベリウスが弟の危機を知った時は、既に手の打ちようがない状態だったのだから。死の床に間に合ったことの方が、むしろ驚くべきことだった。だが、義兄は未だに自分を責め続けている。その心の深さゆえに、その誇り高さのゆえに、義兄は一体いつまで苦しみ続けなければならないのだろうか。
アントニアは無力だった。大切な人の傷を癒すどころか、不安を鎮めることさえ出来ない。アントニアに出来るのは、ただ祈ることだけだ。どうか、義兄の悲しみが、少しでも和らぎますようにと。あの人から、これ以上何も奪わないで欲しい。そして、どうかわたしから、大切なあの人を奪わないで欲しいと。