第三章 父の友人 場面五 父と息子(四)
部屋へ戻ろうとして、ティベリウスは中庭を囲む回廊の向かい側、ちょうど灯りの下に、小柄な人影が立っていることに気付いた。向こうは既に気付いていたらしく、こちらに向かって軽く手を上げてみせる。
ピソの父君だ。
短衣にサンダルの軽装で挨拶をするのも憚られるが、このまま頭だけ下げて立ち去るのはなお失礼だ。ティベリウスは早足に回廊を巡り、友人の父の前に立った。細く小柄な老人は、杖をついていた。
ティベリウスは少し距離を置いて、当主の前に深く頭を下げた。老人の声が言った。
「久しいな」
「長くご無沙汰をしております。このような姿でお目にかかる非礼は、どうかご容赦下さい」
ティベリウスは詫びた。
「このたびのことは、本当に心よりお詫びを申し上げます。何もかもご迷惑ばかりお掛けいたしました」
「ネロ殿」
苦笑する気配がした。
「どうか顔を上げられよ。ご子息に怪我をさせたのは当方の不手際だ。こちらこそ詫びねばならぬところ」
「落馬という事なら、それは息子の腕の未熟さです」
「いやいや。―――まあ、そのような話はもうやめましょう」
老人はティベリウスの両手をとった。
「あなたをお迎えできて、心から嬉しく思う」
「わたしの方こそ、またこうしてお目にかかれて光栄です」
「あなたはよい後継ぎを持たれた。礼儀正しく、愛情深い。ご子息から挨拶を受けた日、わしは感動して涙が止まらなんだ」
「過分なお言葉を……」
ティベリウスは苦笑したが、老人は真面目に言った。
「これは世辞ではない。わしはあなたの父上の孫が、立派に成人した姿に涙が出た。これがあの一本気な男の孫かと、何と実に礼儀正しく素直な若者だろうと感心したものだ。だが、それだけではない。あなたの息子は、涙に濡れるこの老人を黙って抱擁してくれた。何も訊かずに。それで一層、わしは胸が一杯になった。息子も言っていた。性格だけは親に似なくてよかったと。―――これはわしの言葉ではないぞ」
「ご当主………」
この老当主は、やはり少しピソに似ている。どこかからかうような物言いも、そこにある温かさも。ドゥルーススには、ティベリウスとは全く違う優しさがある。それはティベリウスにもよく判っていた。社交の経験が豊かとはいえないドゥルーススだが、この老当主に対しては、礼儀以上のものを示す事が出来たのだ。息子の成長が誇らしかった。礼儀作法を教えることは出来ても、優しさや愛情の深さは教えられるものではない。
「わたしは息子に多くを与えてはやれませんでした。あなたにそのように言って頂けるのは、わたしにとって何よりの贈り物です」