第三章 父の友人 場面五 父と息子(三)
顔を合わせた時、ドゥルーススは戸惑っていた。それも当然だろう。息子の顔を思い浮かべ、ティベリウスは苦笑する。父がこんな分別のない振る舞いに及ぶなど、想像さえしていなかっただろう。ティベリウスはしばらく半身を起こしたまま、暗闇の中でぼんやりしていた。
静かだ。嵐は収まったのだろうか。
ふと不安に駆られたのは、その静けさのせいだったかもしれない。ティベリウスは寝台から降りた。一つ吐息を洩らし、部屋を出た。嵐は収まり、秋の月が中庭を照らし出していた。邸は静まり返っている。ティベリウスは回廊を巡り、石造りの狭い階段を昇った。二階の廊下を進み、ドゥルーススが眠っていた部屋の前に立つ。ノックをしようかと思ったが、あまりにも常識外れな時間だ。結局、ティベリウスはそっと部屋に入った。
文巻を読みながら眠ってしまったのだろうか。寝台の傍らに置かれた背の高い燭台の灯りはついたままで、ドゥルーススの傍らには紐解かれたままの文巻がある。一人息子は規則正しい寝息を立ててぐっすりと眠っていた。ようやく少し安心し、仰向けに眠る少年の顔をしばらく眺める。成人式を迎えたとはいえ、まだまだ子供の顔だ。
ティベリウスは文巻を注意深く手にとった。中身が気になったというよりも、傷めてはいけないと思ったからだ。意外なことに、リウィウスが書いた歴史書『建国以来』だった。リウィウスはアウグストゥスの友人で、共和政信奉者としても知られている。『建国以来』は、始祖ロムルスによるローマ建国から、十年前のドゥルーススの死までを編年体で綴った大著だ。ピソのものだろう。ティベリウスは丁寧に文巻を巻き直し、紐で封をした。それを机の上に置き、部屋を出ようとしたところで、ドゥルーススがかすかに何か言った。ティベリウスは動きを止める。ドゥルーススは眠そうに少し身動ぎしてから、ハッとしたように身体を起こした。
「父上……?」
ティベリウスはその場を動かなかった。
「どうなさったんですか」
「何でもない。様子を見に来た」
息子が呼吸をしているか不安になった、とさすがに言うわけにいかず、ティベリウスはそう答えた。それから、ここへ来た最初の時にも同じ台詞を言ってしまったことを思いだし、つい苦笑する。
「起こして済まない」
「いえ……」
ドゥルーススは困惑したようだった。時間が時間だ。それも当然だろう。
「おやすみ」
ティベリウスはそれだけを言って、息子に背を向けた。だが、寝台から「父上」と声がかかり、ティベリウスは再び足を止める。ドゥルーススは半身を起こしたまま何か言いかけたが、寝台から起きだし、杖をついて裸足で石の床の上に立った。何をするのかと思えば、ドゥルーススはそのまま、ティベリウスに向かって深々と頭を下げた。杖をついた状態では、少しぎこちなかった。
「ご心配をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした」
顔を上げ、ドゥルーススはティベリウスの眸を真っ直ぐに見つめて言った。ティベリウスは咄嗟に言葉が出なかった。ドゥルーススは、相手に礼を尽くすべきタイミングを知っている。それに、驚くほど勇気があった。
ティベリウスは少しためらい、息子に歩み寄る。頭一つ低い身体を抱擁した。
「大事なくてよかった」
ドゥルーススはかすかに身体を寄せてくる。
「心配した」
ティベリウスは小さく言った。囁くような声で、「すみません」と聞こえる。ティベリウスは息子の背を軽く叩いてから身体を離し、寝台に促した。ドゥルーススは何も言わず、毛布に潜り込む。ティベリウスは息子の額に軽く唇を触れた。何年ぶりだろう、と少し思った。
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