第三章 父の友人 場面四 父の姿(四)
ドゥルーススはしばらく黙っていた。
「………父が判りません」
本当に、父はドゥルーススに会いにきたのだろうか。まだとても信じられない。ピソは、ドゥルーススの言葉に苦笑する。
「見かけほど判りにくい男でもないんだが。まあ―――そうは言っても、長い付き合いでもいまだに驚かされることもあるからね。むやみやたらに不平不満を垂れ流す男は醜悪だが、あれだけ黙ったまま溜め続けて、ある日突然洪水のように溢れ出して行動する男も困ったところはあるよ。周囲が右往左往する」
「………」
確かに、父がロードス島へ引退すると表明してからの騒ぎときたら、まさにパニック状態と形容しても差し支えのないものだった。父はほとんど部屋に閉じこもったきりで、家人は来客の応対に追われ、リウィアは部屋の外にまで聞こえるような大声で父を詰った。父は食事を絶ち、ドゥルーススは父がこのまま死んでしまうのではないかと本気で怯えたのだ。今なら父の子供っぽさを軽蔑することが出来ても、当時は父の「本気」の方が怖かった。ドゥルーススは、ロードス島に行くなら自分も連れて行って欲しいと言った。だが、父はそれを許さなかったのだ。
「ただ、君にはひとつだけ判ってやって欲しい。あの男は君を心から愛しているよ。それは疑わないでやってくれ。友人として頼むよ」
愛している? 父が自分を? ドゥルーススの実母を離縁し、アウグストゥスの一人娘と結婚した男が。挙句それをも棄て、母も息子も祖国も棄てた男。一度は裏切ったアウグストゥスに頼み込んで戻ってきたくせに、和解する様子もなくエスクィリヌスに引っ込んだきり、ロクに顔さえ見せようとしない男。
『お前がわたしに対して投げかけた問いも、今感じているであろう腹立ちも、それは全て正当なものだ。原因は全て父の側にあり、お前の側にはいかなる過ちも責任もない。だが、種蒔きに時が、収穫に時があるように、物事には全てそれにふさわしい時がある。勝手な事を言うと思うだろうが、どうかもうしばらく、時が熟するのを待って欲しい』
正当とか正当ではないとか、過ちとか責任とか、ドゥルーススはそんな事を聞きたいわけではないのだ。何故、自分を棄てたのか。理由を説明出来ないという身勝手もさることながら、悪かった、赦してくれと、これからは今までの時間を取り戻そうと、何故言ってはくれないのだろうか。
住む所がロードス島からエスクィリヌスに変わろうと、父は依然として世捨て人も同然だった。家族の輪に加わることもなく、周囲がそれをどう考えていようが一顧だにせず、一人で淡々と日々を送っている。それなら、前のままでよかったのだ。あのまま、島で死んでくれてよかった。
「父は勝手です」
ドゥルーススは言った。
「ドゥルースス」
ピソは苦笑する。ドゥルーススは少しの間黙っていたが、父の忠実な友人を見つめる。
「ピソ殿、あなたには本当に感謝しています。父があなたのような人ならよかった」
ピソはちょっと笑う。
「そんな事を言ってくれるのは君ぐらいだろうな。中々実の息子からそんなふうに思ってもらうのは難しい。マルクスもグナエウスも、多分この父が二、三年ロードス島に引っ込んでくれたらホッとするだろう」
「そうなったら二人とも、多分ついて行くと言うと思います」
ドゥルーススが言うと、父の友人は微笑した。
「その時はわたしもあの男同様、ここに残るよう二人に言うだろうね」