第三章 父の友人 場面四 父の姿(三)
ドゥルーススは部屋に戻り、応接椅子に掛けて父を待った。正直、姿を見るまで半信半疑だったが、間もなくピソに続いて入ってきたのは、紛れもなく、ここ半年で七回しか顔を合わせていない父だった。
確かに疲れているらしく、ティベリウスの顔色は悪かった。着替えをしたとのことで服は濡れていなかったが、クラウディウス一族に特有の、少し長めに整えた髪は湿っているのが遠目にも判る。父はドゥルーススを見つめ、かすかに笑みを見せた。
「元気そうだな」
「何かあったんですか?」
ティベリウスは苦笑してかぶりを振る。
「様子を見に来た」
「ローマから?」
「そうだ」
実際こうして顔を合わせても、ドゥルーススには、まださっぱり意味が判らなかった。
何か言うべきなのだろうとは思う。「わざわざありがとうございます」とか、「ご心配をおかけしました」とか。だが、何よりも、ドゥルーススには状況がつかめなかったのだ。そうだ。一体、ピソはこの父に何と使いを出したのだろう。
ティベリウスはドゥルーススに近づき、身体を屈めて手の甲で額に触れた。手は冷たかった。
「熱はないな」
「熱? あの………ぼくは足を挫いたんです」
ドゥルーススは思わず入口に立つピソに目を向ける。意を察して、ティベリウスは苦笑しながら言った。
「それは聞いている。ただ―――怪我であっても、場合によっては身体に毒が回って熱が出ることがある。もう、その心配もないだろうが」
「そんな、大した怪我では……」
「怪我の重さとは直接関係はない。かすり傷で命を落とすこともある。とにかく………無事ならいい。驚かせて悪かった」
「いえ………」
ドゥルーススはまだ戸惑っていた。使用人が入ってきて、戸口にいたピソに小声で何か告げた。
「ティベリウス」
ピソは呼びかけた。
「風呂の支度が出来たようだ。気が済んだら、汗を流して何か軽く食べたらどうだ」
ティベリウスは友人に目を向け、礼を言った。
「ありがとう」
「なに」
ピソは、使用人に案内を指示した。ティベリウスが出て行くと、ピソはそれを見送り、扉を閉めてドゥルーススを見た。
「驚いただろう」
「はい」
「わたしもだ」
ピソは悪戯っぽく笑い、ドゥルーススの前に腰を下ろした。
「やつには時々驚かされるよ。ロードス島に引っ込むとかいう話の時もそうだった。友人一同、全く寝耳に水だ」
「父に何て連絡されたんですか?」
「事実だけを報せたんだがな。君が落馬して足を挫いたが、命に別状はない。こちらで治療させてもらうか、ローマに戻ってもらったほうがいいか、そちらで決めてくれ、と書き送った。まさか本人が飛んでくるとはね。この天気の中、二日半かけて馬を飛ばしてきたらしい。辿りついた時は、全身濡れネズミだったよ」
「二日半? 二日半でここまで来れるんですか」
「昼夜ぶっ続けで走ったとしても早いな。国の専用便並みだ」
「国の専用便」というのは国の情報伝達制度で、街道に配置されている各宿駅で馬を乗り換えて走る。陸を移動する手段としては最速だろう。ただしこれは国のものであって、公用でしか使えない。
「しかしまあ、やつなら君がいるのがヒスパニア(スペイン)だったとしても、仮に海を越えたアフリカやブリタニア(イギリス)であっても、どんなことがあっても駆けつけたと思うよ。熱はないかと訊いていただろう。弟を足の怪我で亡くしてるからね。君まで喪うようなことになったらと思うと、いてもたってもいられなかったんだろう」