第三章 父の友人 場面四 父の姿(一)
しなった木々同士がぶつかる音が、遠くから聞こえてくる。続いて雨が打ち付けるぱらぱらという音。ドゥルーススは書架に伸ばしかけていた手を止め、耳を澄ました。
ひどい天気だ。もう三日目になる。こんなに続くことは珍しい。
「取ろうか?」
後ろにいたマルクスが声を掛けてくれる。ドゥルーススは苦笑する。
「大丈夫だよ。そう気を遣わないでくれ」
ドゥルーススは即席で用意してもらった杖をついている。器用な使用人が用意してくれたもので、木をT字型に組み合わせ、脇に当たる部分には布が幾重にも巻き付けてある。中々に使い勝手がいい。二本をあわせて使えば、不自由なくとはさすがに言えないが、動き回ることは十分可能だった。
ドゥルーススが足を挫いたのは、六日前のことだった。ピソは所用があったので、マルクスたちと三人で近くの丘まで馬で外出した際、ドゥルーススは落馬した。段差を越えようとしていたところへ、近くの巣穴にいたのだろう、ウサギが急に飛び出したのに馬が驚いたのが直接の原因だが、マルクスやグナエウスなら、落馬まではしなかったのではないかと思うと恥ずかしい。ドゥルーススは逆に申し訳なく思ったほどだったのだが、その後が大騒ぎになってしまった。
マルクスはグナエウスを邸に知らせに走らせ、自分はドゥルーススを馬に乗せ、ドゥルーススの馬と自分の馬を引いて徒歩で戻ってくれたのだが、知らせを受けて港から戻ってきたピソの怒り方が並大抵のものではなかったのだ。無論ドゥルーススにではなく、長男のマルクスに対してだ。
客人に怪我をさせるとは何事か、から始まり、隊のリーダーである立場で危険を回避できなかったことを叱り、更に、いくらそう遠くはなかったとはいえ、負傷した人間を馬に乗せて戻らせるような真似は決してすべきではなく、邸から現場に人を呼ぶべきだった、と判断の甘さを叱った。ピソが不在の折は代理を務めるべき長男として、考えが甘いし自覚が足りない、と容赦なかった。グナエウスに対しては一言も咎めなかった。
ドゥルーススはその場でも、後で様子を見に来てくれた時にも、自分の責任だと何度も言ったのだが、ピソは決して譲らなかった。マルクスはピソの代理であり、年長者であり、一行のリーダーだったのだ、と。ピソはドゥルーススに頭まで下げて謝罪し、ローマに使いをやってティベリウスの判断を仰ぐと言った。
ローマに戻されるのか、と、ドゥルーススは残念に思った。ここでの生活は、本当に楽しかったのに。ここへ来て半月が過ぎている。足を挫いてしまってはもう遠乗りも出来ないが、もう少しこの地を満喫したかった。
間もなく嵐が来たこともあって、ドゥルーススはここ数日、文巻を読んだり、ゲームをしたりして過ごしている。それはそれで楽しい。マルクスはどうやらドゥルーススの世話役を命じられているらしく、不自由のないよう様々に気配りをしてくれる。まさに下にも置かぬ扱いで、下手をするとパンをちぎって一切れずつ口に運んでくれかねない。ドゥルーススのせいであれだけ怒られたのだから、本当に申し訳ないと思う。だが、マルクスの方も自分の責任だと考えているようだった。今も、文巻を選びに行きたいというドゥルーススに付き合い、じっと傍らに控えている。