第三章 父の友人 場面三 嵐の夜の使者(二)
アントニアは驚いた様子でしばらくティベリウスを見つめていたが、やがてふわりと頬笑んだ。
「わたしの方こそ、あなたがいて下さってよかったわ」
ティベリウスは義妹の顔を見つめる。
「あなたはずっとわたしたちを守ってきてくれたもの。ロードス島でも北の国境でも、どこにいらしても、一族の柱はあなただわ。そうでしょう?夫を亡くした時だって、あなたがいなければ、わたしは子供たちと途方に暮れていたわ」
最愛の弟が愛した女の、淡い紫色の眸。それはいつも明るく、そして優しい。ドゥルースス、お前は生きるべきだった。改めて思う。足を折られても、腕を捥がれても。どんな姿になろうと、この女のために生きるべきだったのだ。
「それに、ドゥルーススを任せて下さって、わたしは本当に嬉しかったの。わたしの方からお願いしたのよ」
アントニアは掛けていた椅子から立ち上がった。
「でも、海へは連れていって下さるわね? 約束よ」
頬笑んで言う。ティベリウスが頷くと、アントニアは戸口のほうへ目をやった。
「子供たちを見てくるわ」
「この天気だ。誰かに行かせた方がいい」
こんな風や雨の中、回廊や吹き抜けの玄関大広間を通るのは危険だし、少なくとも雨に濡れるのは避けられない。
「平気よ。雨避けの外套はあるわ」
「アントニア」
普通なら別にティベリウスが共に行ってもいいのだが、長女のリウィッラはともかく、次男の小ティベリウスは、どうやらこの伯父が恐ろしくて仕方がないらしいのだ。視線を向ければ縮み上がり、声を掛ければ元々の吃りが更にひどくなるという有様だったから、雷と伯父両方の奇襲を受けては、下手をすればショックで気を失いかねない。幼い頃にわずらった高熱を伴う悪性の風邪のため、吃音と足の障害を持ってしまった甥は、そのせいもあってかひどく小心で人見知りなのだった。
それならせめて伴を連れて行くように、と指示しようとして、ティベリウスはふと物音を聞きつけて耳を澄ませた。叩きつけるような風雨の音に混じる、馬の声、門を開く音、人声―――
アントニアは、急に黙り込んだ義兄に戸惑ったように動きを止め、振り返った。
「誰か来たようだ」
ティベリウスは呟いた。一体何事だろう。嵐の夜の使者は、不吉なものと相場が決まっている。再び、雷鳴が響いた。