第三章 父の友人 場面二 招待状(三)
一年前、ガイウスが小アシアのエフェソス近くの小島、サモス島に立ち寄った時、ロードス島にいたティベリウスは島を出て彼らの陣営に出向いた。つい約一年前のことだ。第一人者の代理であるガイウスに対しては、出向いて挨拶をするのが礼儀の上で当然のことだったし、また東方で同様の任務を経験した者として、何らかの助言ができればと思ったからだった。
だが、ローマにいた頃からお世辞にも好意的とは言えなかったガイウスの態度は、六年を経て一層硬化していた。二年前に彼の母であるユリアが姦通罪によって流罪になっていたから、その影響もあったのかもしれない。ガイウスは顔つきも態度も高慢そのもので、「追放者が今更何をしに来た」とでも言っているかのようだった。
昼間のうちはガイウスの目を憚ってか、敢えてティベリウスに近づこうとする者はいなかったが、夜になると兵たちが次々に集まってきた。その中には、かつてティベリウスの下で軍務に服していた者たちもいた。彼らは口々にガイウスの傲慢と、軍隊への無理解を訴えた。ティベリウスは正直、かなり驚いた。ローマの軍団兵たちが、指揮官に対する不平不満を、いくらかつての上官とはいえ、こともあろうに部外者であるティベリウスに切々と訴えるとは。
集まってくれた中に、友人でかつての部下のスルピキウス・クィリニウスもいた。勿論この優秀で誠実な軍人は、ガイウスについて愚痴をこぼすために来たわけではなく、このかつての上官に挨拶をしに来てくれたのだ。それでもティベリウスが状況を尋ねると、この男らしく控えめな表現ながら、ガイウスにしろ、その助言者であるマルクス・ロリウスにしろ、とにかく軍団の維持ということに対して余りにも無知であり、また無神経であると、いくつかの例を挙げながら話した。周囲からは次々と同意する声が上がった。
ロードス島に戻ったティベリウスは、ガイウスに書面を送った。サモス島での慌ただしい訪問を詫びた上で、丁重に帰国の許しを請うた。軍団があの状態では、ガイウスの任務の成功はおぼつかない。それはあの短い滞在でもはっきりと判った。ロードス島に留まる事の恐怖もなかったとは言えない。もしも東方で事が勃発すれば、ロードス島にいてはシュリアもアルメニアも、ユダエア王国も目と鼻の先なのだから。
だがそれ以上に、久しぶりに軍団の空気に触れ、彼らの不安を聞き、優秀な軍人であるクィリニウスと語りあったことで、捨て去ったつもりでいた司令官の魂が揺り動かされた。ティベリウスはローマ人であり、誇り高いクラウディウス一族の一員であり、軍団司令官だった。ローマを愛し、軍団兵たちを愛している。帰ろう、と思った。平和で美しいロードス島で、学問に専念する静かな生活―――それもあの時のティベリウスには必要だったし、確かにここでの暮らしは充実していた。だが、自分はそれだけでは生きられない。生きていることにならない。
間もなく、一私人としての立場を守る事を条件に、帰国を許可する書簡がロードス島に届いた。それを受けて、ティベリウスは七年ぶりの帰国を果たしたのだった。
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