表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/243

第二章 アントニア(二二)場面四 ウィプサーニア(八)

 ティベリウスがアウグストゥスの命令を拒否し、ロードス島へ去ったのは、結婚五年目の年だ。事実上、二人の結婚生活はここで終わったと言っていい。だが、ティベリウスが正式に離婚も求めずに妻を棄てたことが、後の問題を難しくしたのは事実だった。

 棄てられたユリアは幾人もの男たちと浮名を流した。それが、他ならぬアウグストゥスが定めた、「姦通罪並び婚外交渉罪に関するユリウス法」に違反することになったのだ。ユリアは当時、形式上はティベリウスの妻だったからだ。アウグストゥスとて苦しんだに違いないが、一人娘の不行状を放置することは出来なかった。

 ユリアの不倫相手の男たちはこの国法によって裁かれ、一人を除いて全員がローマから追放された。ただ一人の例外、ユルス・アントニウスは死罪となった。華やかな容姿と派手な暮らし振りで知られたユルスは、アントニアの異母兄で、アントニウスの息子でありながら、アウグストゥスによって赦され、執政官にまで昇りつめた男だった。それだけに、アウグストゥスの怒りは激しかった。ユルスは死刑の実行前に自死を選んだ。だが、その死体は辱められた。

 アントニアは皆の制止を振り切り、幼い頃からオクタウィアの許で共に過ごした異母兄の死体が、鉤にかけられて市内を引き回され、顔の判別もつかない(むくろ)となって、罪人の階段から投げ落とされるのを見つめた。邸に帰り、何度も吐いた。涙も出なかった。

 ユリアは国法ではなく、アウグストゥスの家父長権によって裁かれた。父権によってといっても、アウグストゥスは国法の規定を厳格に守り、娘の個人財産の三分の一を没収して国庫に収め、遺産相続権も剥奪した上で、パンダテリア島(ヴェントーテネ島)へ終身の追放としたのである。ティベリウスとの間にも、ようやく正式に離婚が成立した。

 パンダテリア島はネアポリス(ナポリ)から五〇マイル(七〇キロメートル)沖に位置する、一マイル四方(一・四八キロメートル四方)しかない小島だ。荒地がちで、冬には凄まじい強風が吹く。ユリアは今もその地で、女ばかりの使用人にかしずかれる生活を送っている。根っから社交的で、読書にも音楽にも関心がなかったユリアは、一体かの地でどんな生活を送っているのだろう。アントニアが手紙を書き送っても、滅多に返事はこなかった。

 身支度を整えたアントニアは部屋を出て、台所を見にいった。春の柔らかな雨が、白大理石の回廊の屋根から細い糸となって滴っている。恵みの雨だった。これからどうなってゆくのだろう、と少し思った。アントニアには、今は公職から身を引いている義兄が、このまま平穏に一私人としての人生を送ることができるとはどうしても思えないのだ。「公共心と自尊心のカタマリ」であるあのティベリウスが。

 オクタウィアはアグリッパの死の翌年に静かに息を引きとり、マエケナスもドゥルーススの死の翌年に亡くなった。アウグストゥスは六十四歳。既に老境に入り、二十歳と十七歳の孫の成長を頼りに、終わるということのない政務にいそしんでいる。義兄とは違った意味で、この老いた第一人者も本質的には孤独な人間なのかもしれない、と思うことがある。十代の頃からの付き合いである旧友でさえ、叔父を「怖い」と言ったのだ。あれは化け物だ、畏怖すら覚えると。「目的のためには手段を選ばず、神罰も偽善も裏切りも、無論人の感情など一顧だにしない、恐ろしい意志の力」―――そんなものに衝き動かされる男とは、一体何者なのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ