第二章 アントニア(十九)場面四 ウィプサーニア(五)
「親愛なるアントニア―――」
手紙は、そう始まっていた。
アントニアはティベリウスと別れた後、私室に戻ってウィプサーニアの手紙を読んだ。
「混乱していて、何を書いたらいいのか判りません。こんな手紙を送ることを許してください。わたしはあなたにどうお詫びをすればいいでしょう。わたしのせいで、あなたがアウグストゥスやリウィアと言い争いになったと聞き、わたしは、自分の軽率さを恥じる思いで一杯です」
ウィプサーニアは平生かなり几帳面で、手紙を書くときは必ず下書きをして文章を整えてから、一字一字丁寧に綴るのが常だった。それが、今回はよほど急いで書いたのだろう。筆跡は乱れており、言葉を直した跡がいくつもそのままになっている。
「あなたがいつもわたしたちのことを考えて下さっていることをよく知っていたのに。年若いあなたの厚意と優しさに、わたしはいつも甘えさせてもらっていました。夫に口止めされていたのに、つい愚かにも泣き言を言ってしまったのです。今更、何を言ったところで取り返しがつくことではありません。あなたにはお詫びする事しか出来ません。本当にごめんなさい」
何度も繰り返される謝罪の言葉を読み進みながら、アントニアは後悔で一杯になった。当然、アントニアもウィプサーニアに口止めされたのだ。内々の話だから、と。それを場所柄も弁えずに声高に非難してしまったのはアントニアの過ちであって、ウィプサーニアのせいではない。
手紙は何度か謝罪の言葉を繰り返してから、こう続いていた。
「リウィアが急ぎの用だと言って邸にお見えになったとき、夫は滞在されている法学者の方と話をしているところでした。リウィアは夫に会い、ほんの少しいただけですぐに帰られたのですが、その後、夫はわたしの所へ来ました。事の経緯はもう大体予想がついていたのでしょう。夫はいつものように落ち着いていました。そして、静かな調子で、アントニアにあのことを話したのかとだけ尋ねました。真っ青になって口もきけないでいるわたしを責めることはせず、ただちょっと頷いてから、あなたがアウグストゥスの邸に行って、そのことについてアウグストゥスに話をしたそうだ、と言いました。それから、アントニアのことは、きちんとアウグストゥスに説明をして誤解のないようにするから、わたしは何もせずに邸にいるようにと言いました。わたしが夫から聞いたのはそれだけです。わたしは話の断片を使用人から耳にしたのです。つい先刻のことです。
あなたには、本当に申し訳ないことをしてしまいました。ただ、わたしはあなたに聞いていただきたいことがあるのです。こんなことを言ってはいけないと判っています。この手紙は、どうか一読されたら焼き捨ててください。
アントニア。あなたのお気持ちは、とても嬉しかった。
夫に離婚を告げられた日、わたしは部屋に戻り、一人で声を殺して泣きました。ですがその後、わたしは奇妙に落ち着いていたのです。わたしは変わらず夫に頬笑みかけ、家の用事をし、使用人たちと話をしながら日々を送っていたのです。
今日、夫がわたしの部屋を出て行った後、しばらくして気心の知れた使用人たちが話を聞きつけてやってきました。皆、怒っていました。口々に夫やアウグストゥスを非難し、あなたを褒め、わたしに同情してくれました。かわいそうに、かわいそうにと言って、中にはわたしの背を撫でてくれたり、泣いてくれる者もいました。わたしは皆の前で、嫁いできて以来初めて、ぼろぼろ涙を流して泣きました。自分の軽率さが悔しくて泣いた、ただそれだけではなく、そのとき初めてわたしは泣いていいのだと判ったのです。
あなたは不思議に思うかもしれません。わたしは夫のことも、アウグストゥスやリウィアのことも、ひどいとか、許せないとか、それまで少しも思わなかったのです。この上なくローマを大切に思う夫のために、わたしはあの人と別れるべきなのだと思っていました。確かに、それはその通りなのでしょう。もともと、わたしたちは、自分の意志で互いを選んだわけではありませんでした。でも、わたしはあの人といたかった。なのに別れなければならないのは一体どうしてなのかと、初めてわたしはひどいと思ったのです。夫や義父母をではありません。ですが、本当にひどい、悔しいことだと思ったのです。