第二章 アントニア(十八)場面四 ウィプサーニア(四)
「明朝、ドゥルーススにはうちに来るように使いを送っておいた。どうせ今夜も朝まで騒いで戻ることだろうが、まあ、少々酔っ払っていても構わない。あれもあなたの話を聞いたら目が覚めるだろう」
ティベリウスは親しみのこもった軽い口調で言う。
「夫は知っているの?」
「いや」
義兄は短く答え、苦笑した。
「知ればあれもあなた並みに騒ぎを起こしていたかもしれない。あれはあなたに隠しごとはしないよ。出来る性分じゃない」
「じゃあ、本当に誰も知らないの? いつ話をされたの?」
「知らなかったと言うべきだろうね。アウグストゥスと母上と、わたしと妻しか知らなかったことだ。今ではどこまで広まっているのか見当もつかないが。わたしがアウグストゥスに話を持ちかけられたのは、ユリアが出産した日の夜だ」
だとすると、もう八日も前の話になる。ユリアが無事に男の子を産み、皆がアグリッパ将軍の死以来の明るいニュースを喜び、口々に祝福の言葉を口にし、少し早い春を満喫していた。その時に、義兄は一人そんな宣告を受けていたのだ。あの日は皆がアウグストゥス邸に集まっていた。アントニアも来客の応対を手伝っていたから、この義兄とも顔を合わせたはずだった。だが、どんな表情をしていたか思い出せない。普段どおりだったのか、あるいはアントニアも忙しさと邸内の喜びに弾んだ空気の中で、義兄の変化を見過ごしてしまったのか。
それにしても―――と思ってしまう。アウグストゥスもいくらなんでも無神経ではないだろうか。ユリアは出産を控えて神経質になっていたから、と叔父は言った。子供さえ無事に生まれればいい、とばかりに、早速娘の再婚話を継子に持ちかけるとは。しかも、ティベリウスには妻子があるのに。
ティベリウスは胸元から一通の手紙を取り出し、卓上に置いた。
「妻から手紙を言付かってきた」
それだけを言って立ち上がる。同じように席を立とうとしたアントニアを手で制した。
「見送りはいいよ」
アントニアは構わず立ち上がる。
「ティベリウス」
呼びかけると、奇妙なことに義兄は少し怯んだような表情を見せた。
「何も気付かなくてごめんなさい。その上、思慮が足りなくて、あなたには無用な負担をたくさんかけてしまったわ」
「もういい、アントニア……」
ティベリウスは少しためらうそぶりを見せたが、足早にアントニアに歩み寄り、ほとんど身を寄せるだけの軽い抱擁をした。辛うじて聞き取れる声で囁く。
「あなたの気持はよく判った」
「―――」
「妻の力になってやってくれ」
それだけを言うと、義兄は身体を離し、別れの言葉も口にせず、足早に部屋を出て行った。
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