第二章 アントニア(四) 場面一 義妹(四)
十九歳で財務官に選出されたドゥルーススと、アントニアは十七歳で結婚した。二年前に結婚していたティベリウスは、簡単な祝いの言葉と共に「弟をよろしく」とだけ言った。大袈裟な感情表現が苦手なティベリウスを、この頃にはアントニアも理解できるようになっていた。アントニアはティベリウスの頬に軽くキスして言った。
「末永くよろしくお願いいたします、義兄上様」
ティベリウスもアントニアの額にそっと唇を触れた。アントニアには何も言わなかったが、ドゥルーススの耳に何事か囁いた。後で聞くと、「騙されそうになる」と言ったそうだ。じゃじゃ馬だったアントニアの印象が、よほど強かったのだろう。
あの頃が、義兄には一番幸せな頃ではなかったか。
ティベリウスは、アウグストゥスの親友で、護民官特権を共有する共同統治者でもあった、将軍マルクス・ウィプサーニウス・アグリッパの娘と結婚していた。ウィプサーニア(ウィプサーニウスの娘)、またはアグリッピナ(アグリッパの娘)と呼ばれるこの慎ましい女性と、アウグストゥスの継子ティベリウスとの結婚は、勿論当人たちの意思によるものではない。ティベリウスが父を失った九歳の時に、親たちの意向で決められたものだった。だが、二人はゆっくりと互いの間に信頼と愛情とを育てていった。互いに開け放しの性格のアントニアとドゥルーススとは異なり、控え目なウィプサーニアと、人見知りのティベリウスには、時間が必要だったのだろう。中々子供に恵まれなかったが、結婚から六年後、ガイウスが生まれた翌年に、ウィプサーニアはドゥルーススを生んだ。
その幸福な生活が壊れたのは、それから二年後のことだった。
きっかけは、将軍アグリッパの突然の死だった。アウグストゥスと同年齢で、長い間彼の右腕として公私共に尽くしてきた男は、遠征先からローマへ戻る途中、熱病に倒れた。そして二月十二日、身重の妻ユリアを遺して世を去った。まだ五十歳だった。