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第二章 アントニア(二) 場面一 義妹(二)

 アントニアは使用人に、食卓を片付けるように言い、寝室に戻った。

 七年ぶりの再会だった。ローマを去ったあの時より、ずいぶんと心身の健康を取り戻したのが判った。当時のティベリウスは、数々の輝かしい栄達にも関わらず、心は限界まで追いつめられ、何が起こってもおかしくない状態だったのだ。第一人者の命令を拒否し、ローマを去るという思い切った行動も、アントニアにしてみればよくここまでもった、という気持ちのほうが強かった。

 ローマを去る少し前、ティベリウスはアントニアを訪れた。アントニアはまず、ティベリウスの生気のなさに驚いた。断食のせいで痩せたのは仕方がない。だがどんなときも毅然と胸を張り、少々恐ろしいほど鋭い眸をしていた義兄の周りには、いつも張り詰めた空気が(みなぎ)っていた。それが今や全く感じられない。義兄の中で、何かが切れてしまったかのようだった。

 ティベリウスは相変わらずの丁重さで、先日の対面を断った事と、今日突然訪問した事とを詫びた。アントニアはティベリウスに椅子を勧め、自分は卓を挟んで正面に腰を降ろす。

 ティベリウスは何の前置きもなしに本題に入った。

「母から、あなたがドゥルーススの養育を考えてくれていると聞いた」

「ええ」

 アントニアははっきりと答えた。

「本当にあなたはそれでいいのか」

「あなたとドゥルーススさえよければだけど。ドゥルーススとガイウスは、今だって兄弟みたいなものですもの。一緒に暮らせれば、ガイウスのためにもその方がいいわ。わたしも楽しいし」

 短い沈黙がある。ティベリウスは義妹の真意を量りかねているのか、それとも遠慮しているのか、しばらく黙り込んでいた。

「ティベリウス」

 アントニアは、自分から口を開いた。

「わたしに任せて下さる?」

 数秒、間がある。ティベリウスは無言でアントニアの前に頭を下げた。アントニアは席を立った。ティベリウスの傍らに掛け、背に手のひらを置いた。苦笑混じりに言う。

「やめてちょうだい、ティベリウス」

 ティベリウスは中々顔を上げなかった。かつて、ティベリウスを評して、「公共心と自尊心のカタマリ」と言った男がいた。その男が、押し黙ったまま、一人の女にこんな風に頭を下げるなんて。この男は疲れ、心から休息を必要としている。アントニアはその背を撫でた。何故誰も気付かないのだろう―――実母のリウィアでさえ。

 不意にティベリウスは深く息を吐き出し、無言で立ち上がった。アントニアも立ち上がる。義兄はやっとアントニアを正面から見つめ、今度は胸に手を当て、年長者にするように恭しく正式に一礼した。名門貴族の家長であるティベリウスが、アントニアに示した最大限の敬意だ。それもこの義兄らしく、格式に則り、丁重で礼儀正しかった。

「ドゥルーススを―――どうか頼みます」

 顔を上げ、ティベリウスははっきりと言った。アントニアは頬笑む。

「落ち着かれたら、手紙を下さいね。ドゥルーススのことをお知らせしたいから」

「判った」

 ティベリウスは頷き、アントニアを軽く抱擁した。

「ありがとう………」

若い頃から、年齢の割に落ち着きすぎていた義兄を、友人たちは「長老」と綽名した。十八歳で元老院議員になったからでもあったが。(元々、「元老院(セナートゥス)」は「老人(セネクス)」からきていたのだ。)その彼が、三十四歳という壮年期になって、自分の主張を通すために選んだ手段が、ハンストとは。アントニアには、そのことを痛々しく思うのと同時に、何だか彼の中の子供の部分を垣間見るようで頬笑ましくも感じたのだ。



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