第一章 父の帰還(三〇) 場面六 対立(六)
食事を絶ってから四日目の夜、リウィアがティベリウスの許へやってきた。五十代に入っていても、リウィアは美しかった。ティベリウスの父ほどではないが、やはり名家の生まれで、更に人妻だった身をアウグストゥスから熱望され、その後もその愛情を一身に集めていることが、彼女の自信と誇りを支えていたのだろう。その目にもう涙はない。だが、少しやつれたようだった。表情は硬く、さすがに少し老いを感じさせた。
「お前には失望したわ」
部屋に入るなり、リウィアは机にいたティベリウスを見下ろして言った。
「お前に誇りはないの?執政官を務め、凱旋将軍にもなった名門クラウディウス一族の当主が、ローマを逃げ出すなんて」
ティベリウスは使用人に、水とワインを持ってくるよう指示した。リウィアはピシャリと言った。
「すぐに帰るわ」
「そうですか」
ティベリウスは頷いたが、指示は取り消さなかった。間もなく飲み物が運ばれてくる。ティベリウスはそれを、卓上に置くよう言った。息子の素っ気ない態度に、リウィアは余計に腹を立てたらしい。だが、ティベリウスはもう騒動にうんざりしていた。四日間水しか口にしていなかったため、力が入らなかった、という理由もある。
「ドゥルーススなら、絶対にこんなバカな真似はしないわ。あの子なら、どんなに困難な任務でも、怯まず引き受けたはずよ。逃げ出すなんて考えもしないわ」
「でしょうね」
ティベリウスは物憂く立ち上がり、リウィアに椅子を勧めた。リウィアは苛々した様子で、それでも来客用の布張りの椅子に腰を降ろした。
ティベリウスが任務を拒否したのは、それが困難な任務だったからではない。だが、それを説明するのも今や面倒だった。
「そんなに逃げたいなら、もう勝手になさい。お前は父親にそっくりね」
「母上」
ティベリウスは嘆息した。
「わたしのことはともかく、父上のことをそのように言うのはお止め下さい。父上は逃げたのではなく、セクストゥス・ポンペイウスと共に戦う為にシチリアに渡ったのです。自分が信じるもののために。そのことの是非はともかく、父上には父上なりの信念があった。逃げたわけではありません」
「そう。でも少なくとも、先を見る目はなかったわね」
「……」
リウィアは突き放すように言う。ティベリウスは黙った。それは確かに真実かもしれない。リウィアは十四歳でティベリウスの父に嫁ぎ、十六歳でティベリウスを生んだ。そして夫に従い、幼いティベリウスを抱いて、二年にわたる放浪生活を強いられた。それが逃亡であれ、闘いのためであれ、若妻には大して違いはなかっただろう。その揚げ句、父は第二子、ドゥルーススを妊娠していた妻を、アウグストゥスに譲ったのだった。リウィアが夫を軽蔑したとしても、それは理由のないことではない。




