第一章 父の帰還(二七) 場面六 対立(三)
「今までは、確かに彼の地は戦場だった。だが、そなたはそれを征したではないか。ドゥルーススと、そなたの二人で成し遂げた偉業だ。ゲルマニアの諸部族はローマの支配下に入った。あとはいかに彼らを統治するかだ」
アウグストゥスは宥める口調のまま続ける。
「かの地の制圧はそなたの弟の悲願だった。その遺志を継いで、そなたは本当によくやってくれた。きっとドゥルーススの魂が、そなたを守ってくれたのだろう。そなたたち兄弟を、わたしは心から誇りに思う。わたしだけではない、そなたたちはローマの誇りだ」
アウグストゥスの賛辞は、ティベリウスをむしろ不快にした。無論、働きを認められるのは嬉しい。だが、ティベリウスはお追従や虚言には人一倍敏感な性分だった。まして今は社交の場ではなく、極めて実際的な話をしているのだ。アウグストゥスはティベリウスの言葉を真剣に取り上げないまま、話をすりかえようとしている。ティベリウスはそう感じた。
アウグストゥスは血気に逸る若者を諭す年長者の口調のまま、話を続けた。
「何事にも徹底したそなたのことだ。ゲルマニア制圧はまだ不十分と見る気持ちは理解しているつもりだ。そなたの慎重で用心深い性質を、わたしは高く買っている。十代の頃から「長老」と綽名されたそなただったな。だが、どうかここはローマのために私情を抑えて、この新しい任務に尽力して欲しい。他の者を信頼し、任せることも時に重要だ。東方はそなたを必要としている。そなたの使命だ。神々の命ずる声を聞いて欲しい」
ティベリウスは自分を抑え、どうにか継父の言葉を最後まで聞いた。慎重だからとか私情とか、そういうレベルの話ではない。怒りを抑えたつもりだったが、次に発した言葉は、既に礼儀を踏み越えていたかもしれない。
「アウグストゥス、お聞き下さい。自分がやり遂げたいとか、ドゥルーススの悲願とか、そういったレベルでわたしは話をしているのではない。ロリウス殿に対する私情など更に関係のないことです。わたしは彼の地における軍事行動の必要を、ゲルマニア総司令官としてあなたに進言している。あなたはこのローマの第一人者であり、イムペリウム・マイウス(全軍指揮権)をもつ最高司令官だ。そのあなたに、わたし個人の感情を配慮して欲しいとは思わない。最高司令官として、かの地のことを真剣に考えていただきたい」
思いもかけない反論だったのだろう。アウグストゥスはやや鼻白んだ。ティベリウスの話し方は、まるで言葉の剣のようだと、以前友人から苦笑混じりに言われた事がある。硬く鋭く、冷たい刀身が、一瞬で人の身体を切り裂くように、ティベリウスの容赦のない冷徹な言葉は、人の心を切り裂くと。気をつけてはいるが、怒りに駆られると、どうしてもそれが出てしまう。継子に気を遣ったつもりが、冷たく切って捨てられたアウグストゥスは、一瞬意表を衝かれて怯んだものの、明らかにムッとしたらしかった。
「わたしは、ゲルマニアをないがしろにしているわけではない。だが、彼の地の平定は完了している。それは最高司令官たるわたしと元老院とが判断したことだ。残党の反乱はまだ少し起こるかもしれないが、それも収まるのは時間の問題だ。今更そなたに言うまでもなかろう。ローマの領土は広大だ。ゲルマニアだけを相手にしているというわけにはいかない。そなたが二人おれば、ゲルマニアとアルメニアの両方に派遣する事も出来よう。だが、それが不可能である以上、適性や緊急性や重要度に応じて指揮官も軍団も動かさねばならない。当然のことだろうが」
「わたしはレーヌス軍団の総司令官です。ドゥルーススを失い、新たに総司令官となったわたしを、彼らは信頼して共に闘ってくれた。ドゥルーススの悲願というなら、それを誰よりも理解し、その実現を願っているのは、苦楽を共にしてきたレーヌス軍団の兵たちだ。アウグストゥス、今一度申し上げます。ゲルマニア制圧はまだ途上です。今制圧の手を緩めれば、ドゥルーススがゲルマニア内に築いた道も基地も、ゲルマニアの森に跡形もなく呑み込まれてしまう。ドゥルーススの努力がすべて水泡に帰すばかりではない。ゲルマニアの森が、わたしの兵たちの血で染まるのを、わたしは彼らの総司令官として断じて見過ごせない。撤退か、制圧かです。わたしを異動させるなら、政治家ではなく指揮官を派遣して下さい」
「そなたの兵ではない。誤解するな」
ティベリウスも興奮していたが、いい加減、アウグストゥスも頭にきたのだろう。継父は言葉尻を捉えて感情的に言った。




