表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/243

第一章 父の帰還(二三) 場面五 共和国(四)

 ティベリウスはそうした場に同席することはあっても、ほとんどそれについて発言をすることはなかった。だが、ティベリウスには判っていた。確かにアウグストゥスは王冠も戴いていなければ、ユリウス・カエサルのように「終身独裁官」の地位にも就いていない。継父が手にしている権力も、その一つ一つは共和政下でも決して非合法のものではない。ただ、それを一人の人間が、しかも継続して持ち続けることは、本来共和政体ではありえない筈だったのだ。

 カエサル暗殺後に起こった内乱を終結させたアウグストゥスは、間もなく「共和政復帰宣言」を行った。非常時故に一手に握っていた大権を、元老院と人民に返すと宣言したのだ。だが、アウグストゥスはその後も三年間、連続して執政官に就任している。それ以前から数えれば、九年間にわたって執政官の地位にあったことになる。軍事権も手放さなかった。「属州統治を分担して欲しい」という元老院議員の提案を受けるという形で、軍団を駐屯させている属州―――全属州のおよそ半数に当たる―――全てを自らの直轄属州としたからだ。「軍団司令官(イムペラトル)」の称号の永続使用の権利も、「元老院の第一人者(プリンチェプス)」「至尊者(アウグストゥス)」の称号も、表向きは元老院の議決を受ける形で手にしている。

 更に、連続して就任していた執政官を辞めると宣言した時、その代わりとしてアウグストゥスが求めたのは「護民官特権」の付与だった。「護民官」とは、元々は貴族に対して一般市民の権利を護るためとして創設された役職だったが、この「護民官」が持っている特権とは、「肉体の不可侵性」「政策立案権」そして「拒否権(ヴェトー)」だ。元老院議決を一言で潰せる特権を、この時アウグストゥスは手にしたのだった。しかも、「一年任期だが、異議がなければ更新される」という、実質終身制としか言いようがない但し書きまでつけて。

 その結果、この一人の男は、属州の半分を直轄し、ローマの全軍団に対する指揮権を持つ常任の軍団司令官―――「最高司令官」であり、「肉体の不可侵性」と元老院に対する「拒否権」を備えた「元老院の第一人者」―――ローマ唯一の「至尊者」となったのだ。

 実質上の「独裁者」といって差し支えのない絶対的権力を手にしながら、あくまでも「共和政体の維持」という外見にこだわり続けたのは、「内乱を終結し、ローマ本来の政体に立ち戻らせた」というメッセージが、人心をまとめるために最適だと判断したからだろう。それほど、ローマ人の「独裁」に対する嫌悪は根強かったのだ。「王になろうとしている」という非難ほど、危険なものはなかった。終身独裁官となったユリウス・カエサルは「共和国の敵」として暗殺された。百年余り前にも、農地改革でローマ史に名を残したティベリウス・グラックスが同じ非難を受け―――これは反対派の中傷であったのだが―――、興奮した元老院議員たちに支持者共々鉄棒で殴り殺されるという悲劇が起きている。この日だけで三百人が撲殺されたのだ。

 ティベリウスは、継父には勿論、友人にも弟にもその種の話はしなかった。グナエウス・ピソにせよ、ルキリウス・ロングスにせよ、ティベリウスの友人には名門出身の共和政信奉者も多い。だが、ティベリウスは周囲からそう見られてはいても、そうした話題を口にすることは滅多になかった。

 継父を憚ったり、恐れたりしてのことではない。むしろ、ティベリウスは継父を尊敬していた。継父が築き上げようとしていた政体が、現在のローマには相応しいのではないか―――ティベリウスにはそんなふうにさえ感じられたからだ。六百人の議員による合議制と、一年間という厳密な任期制―――今や四千五百万人を越える人口を抱えるこの大国ローマは、もはやその体制のままでは運営できないのではないか。それが神君ユリウス・カエサルが見抜いた「共和国ローマ」の限界であったのであり、だからこそ軍隊を率いて本国に攻め込むという非常手段にまで訴えたのではなかったか。継父がヴィジョンを示し、元老院がそれに協力する。緊急時には、継父が指導力を発揮して事態を収拾する―――そのやり方で、この国の運営は確かに順調に進んでいたのだ。

 継父は内戦を終結させ、共和政を擬態してでも人心を一つにまとめ、「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」とまでいわれる現在の繁栄を築き上げた、稀有の政治家だ。継父は「煉瓦のローマを大理石のローマに生まれ変わらせた」と誇らかに宣言し、詩人たちはローマの新生を謳い、その偉業を称えた。ティベリウスは継父の役に立てることが誇らしかった。共和国と共に歩んできた父祖たちの名に恥じぬよう、ティベリウスは新生ローマと共に歩んできたのだ。ティベリウスの抱いている思いは、古き時代を懐かしむ典型的な共和政信奉者たちとは、少し違ったものであっただろう。

 だが、ティベリウスとて現状に満足しているわけではない。ティベリウスに我慢できなかったのは、第一にはアウグストゥス主導の現状にすっかり慣れてしまい、その指示に唯々諾々と従う羊の群れと化し、時に目に余る阿諛や追従をさえしてみせるようになった元老院であり、第二には、アウグストゥスの偏狭としか形容しようのない血統主義だった。十四歳の執政官就任を言い出す議員も議員なら、言い出させたアウグストゥスの方にも責任はある。アウグストゥスが自らの孫に後を継がせたいと願っていることが余りにも明らかだったからこそ、あのような非常識な提案が他ならぬ元老院で行われたのであったから。



     ※



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ