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第一章 父の帰還(二〇) 場面五 共和国(一)

「ティベリウス」

 その声に、ティベリウスはふと我に返った。友人たちとの会食の最中であるにもかかわらず、どうやらぼんやりしていたらしい。十人に満たない友人たちとで囲む、ごく内輪の宴だ。宴の主催者であり、かつ「饗宴の大将(シュンポシ・アルクス)」―――饗宴(シュンポシオン)の仕切り役―――を務めているグナエウス・カルプルニウス・ピソが、切り分けた鴨肉を載せた皿を手に、ティベリウスの傍らに立っていた。皿をティベリウスの前に置こうとしたので、ティベリウスは手振りでそれを断った。ピソは軽く肩を竦める。

「楽しんでいるか?」

「ああ………」

 ティベリウスはつい生返事をしてしまい、さすがに素っ気ないと反省した。宴の主人が手ずから料理を勧めてくれているというのに。本来は給仕係の役目だ。

「考え事をしていた」

 ティベリウスは銀製のカップに手を伸ばす。ピソの手がそれを押さえた。

「先刻から何も腹に入れずに酒ばかりだ。先日もそんなだったぞ」

「君は、いつからわたしの目付けになった」

 ティベリウスは友人の制止に構わずカップを口に運んだ。蒼氷色の眸と白金髪を持つピソは、一見冷めたきつい印象を与えるが、その実案外と情に厚く、面倒見がよいところがある。人にしろ考え方にしろ好き嫌いがはっきりしていて、親しくなってしまえば付き合いやすい男でもあった。

 ピソは席に戻らず、小さく吐息を洩らす。

「君はかなり痩せたぞ」

 言って、少し周囲を見回す。

「はっきり言うが、皆心配しているんだ」

 ティベリウスは友人たちを見た。それぞれ食事や会話を続けながら、時折遠慮がちにピソとティベリウスに視線を送っている。

「年寄りがこうしてあべこべに若者の体調を気遣ってるんだ。少しはそれに応えようという謙虚な気持ちはないのか。年長者に対して、もう少し敬意を払ってくれてもよさそうなものだ」

 若者と言い年寄りと言っても、ピソは四十歳になったばかりで、ティベリウスは三十四歳だ。ティベリウスは無言で手を伸ばし、ピソの手の皿から肉を一切れ取った。炙った香ばしい肉にスパイスの効いたソースを絡めた鴨肉は、酒宴に相応しい逸品だった。言われてみれば、酒宴が始まってからほとんど食事に手をつけていない。自分でも意識していなかったのだ。

「旨い」

「それはよかった」

 ピソは微笑し、卓上に皿を置く。今度はティベリウスも断らなかった。参加者の体調や性格、好み、酒に強いか弱いか―――そうした事情に配慮しながら、ワインの濃さ薄さ、料理を運ぶペース、余興に入るタイミングなどを判断し、宴を円滑に進めるのが「饗宴の大将」の役割だ。その点で、ピソは優秀な仕切り役だった。古い付き合いのこの男は、元々人を楽しませるのが好きな性分なのだ。ピソはティベリウスの肩に軽く手を置き、自分の席に戻っていった。

 酒宴は既にメインディッシュに入っている。卓上には仔鹿肉や雄鶏のレバー、ヒラメやボラといった高級食材が所狭しと並べられている。グナエウス・ピソは自身も由緒正しい貴族の出身だが、妻も高貴な家柄と莫大な財産を誇っている。ごく内輪のものとはいえ、酒宴はそれに相応しい豪華なものだ。だが、金にあかせて高級品をかき集めた、という風にならないのは、やはり長く続いた高貴な家柄のもつ「品格」とでもいうべきものの故であったろう。

 勿論、家柄が人の全てではない。ティベリウスの友人の中には、騎士階級(エクイタス)の者もいれば、実力で元老院議員階級入りを果たして間もない「新人(ホモ・ノブス)」もいる。だが、グナエウス・ピソに対して親近感を覚えるのは、やはり境遇が近いせいもあるように思う。共に古くから続いた貴族(ノビリス)の家の長男として生まれ、現在のローマを築き上げてきた祖先たちを心から誇りに思っている。またピソの父も、既に故人となったティベリウスの父も、筋金入りの「共和政信奉者(リパブリカン)」だ。ピソの父は「ポンペイウス・マーニュス」―――偉大なるポンペイウス―――について神君ユリウス・カエサルと争い、ティベリウスの父は元老院でカエサルの暗殺者を称え、「共和国の救済者」である彼らに褒賞を与えるべきだと演説した。その後も暗殺者の側に付き、彼らが鎮圧されてからはポンペイウスの遺児に従い、更にはアフリカへまで赴いてアウグストゥスと敵対したのだ。

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