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第七章 イムペラトル 場面六 夜明けの海(一)

   朝のまだきに生まれ 指薔薇色の曙の女神が姿を現すと

   オデュッセウスの寵愛の息子は床から身を起こし、

   衣服を着けると肩には鋭利の剣をかけ、

   艶やかな足には見事なサンダルを結んで

   寝所から立ち出でる姿は、神かと見まごうばかり

                 ホメロス「オデュッセイア」


「………綺麗ね」

 義妹はポツリと言った。

 アドリア海は穏やかに凪いでいる。雲ひとつなく晴れた空は、藍色から次第に澄んだ青色に変わりつつあった。太陽はまだ水上にその姿を現していない。この時刻、肌に触れる早春の風はまだ真冬の冷たさだった。義妹は若草色のマントに身を包み、砂浜をゆっくりと歩いている。ティベリウスはその少し後ろを歩いた。伴はアントニアがローマから連れてきた、古参の女奴隷が一人だけ。それ以外の随人たち―――それもアントニアの輿を担ぐ人夫を含めても十人に満たないが―――は、馬や輿と共に、ずっと後方にいた。

 これは本当に現実の出来事だろうか。ふとそんな気持ちにさえなった。つい先日まで戦場にいた自分が、今これほど静穏な時間の中に身を置いていることが、どこか現実のこととは思えない気がした。ひょっとすると、ロードス島以来のことかもしれない。

 ロードス島では、黒々とした宇宙に煌いていた星々がやがて夜明けの空に溶けてゆくまで、気心の知れた友人たちと共に波の音を聞いて過ごしたものだった。ロードス島の大学で知り合った友人もいれば、第一人者と不和になった挙句、一切の公職から身を引き、ロードス島に引っ込んだティベリウスと共に行くと言ってくれた、大切な友人たちもいた。身分も人種も出身地も異なる彼らと過ごしたあの日々、ティベリウスは決して孤独ではなかった。

 教師でもあり友人でもあったトラシュッルスはギリシア人で、エジプトのアレクサンドリアで天文学を学んだという。大地は周囲およそ二万七千マイル(四万キロ)の球体であり、太陽から一億マイル(一億五千万キロ)、月から六万マイル(九万キロ。但し、実際は四万キロ程度)の距離にあるという。数学に長けたギリシア人は、今から三百年の昔、大地に対する太陽の傾きをもとに、大地の周囲を割り出したのだ。星空の下、ティベリウスはアレキサンドリアの学者たちの鮮やかな証明の手法を聞き、幾度感嘆のため息をついただろう。そしてローマ人が彼らのような学者を持つことが出来なかったことを少し残念にも思った。

 あの日々から十年が過ぎた。もう遠い昔のことのようだ。

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