第七章 イムペラトル 場面五 月の光(三)
意外な申し出に、ティベリウスは戸惑う。
「どこへ?」
「ティベリウス」
義妹は子供のような笑みを見せて言った。
「わたしがどうしてアリミヌムまでついてきたとお思い?」
「―――」
問われても、ティベリウスにはさっぱり見当がつかない。黙っていると、義妹の頬笑みは更に深くなった。
「海を見せてくれると仰ったわ。覚えていて?」
「忘れてはいない」
もう三年以上前の話になる。ドゥルーススがピソの別荘で足を挫いた時のことだ。ロードス島に引退していた頃、この義妹には随分と負担をかけてしまった。その詫びと礼を兼ねて、義妹の願いを聞くと言ったのだ。
忘れていたわけではないし、翌年、ゲルマニアから慌ただしく首都に戻った冬、シラヌスに準備をさせようかと話もした。だが、その時は義妹の方が、ティベリウスとゲルマニクスがゲルマニアで従軍中であることを理由に断ったのだ。ティベリウスが公生活に復帰して以来、夏は毎年北の国境で過ごすことになったし、建国暦七五八年(紀元六年)、七五九年とアグリッピナは立て続けにゲルマニクスの子を身ごもっていたから、こうなると夏に海を見に行くなどということは不可能に近かった。
「そのためにアリミヌムまで来たのか」
「付き合って下さる? せっかくだからみんなには内緒にしましょう。大げさになると出かけにくいわ」
この義妹にこうもストレートにせがまれて、断れる人間などいないだろう。
「いくらあなたが寒さに強くても、泳ぐのは無理だ」
苦笑してそう答えた。
「妥協するわ」
ティベリウスは義妹の額に口付けた。
「明朝、夜明け前に邸を出よう」