第七章 イムペラトル 場面五 月の光(一)
「話が尽きて」というよりも、単にアウグストゥスの体力の問題で話を切り上げた頃には、既に夜明けまで数刻を残すのみになっていた。
「明日は起こさないでくれ」
アウグストゥスは冗談めいた口調で言い残し、しょぼついた目をこすりながら寝室に引っ込んだ。ティベリウスも寝室に戻ろうと踵を返す。その時、庭園を囲む廊下の列柱の間に懐かしい人の姿を見とめて、ティベリウスはちょっと息を飲んだ。
「アントニア」
相手も驚いたようだった。だが、その表情はすぐに緩んだ。どこか滑るような軽やかさで、足早に歩み寄ってくる。この義妹も四十代に入っていた。
「久しぶりね………」
深夜だからだろう。囁くような声で義妹は言った。少し背伸びをしてティベリウスの頬にキスをしてから、両手を取って顔を見上げた。しばらくの間、黙って義兄を見上げていたが、やがて柔らかな口調で言った。
「こんなに遅くまで、叔父上とお話なさっていたの」
「ああ。あなたは、こんな夜更けに何を?」
尋ねると、義妹は恥ずかしそうに言った。
「目が冴えて眠れなくて。久しぶりに遠出をして興奮したのかもしれないわ。………子供みたいでしょう」
ティベリウスは微笑する。
「散策するには少し寒いだろう」
アントニアは夜着の上に羊毛のストールを羽織っただけの姿だ。
「平気よ。寒さには強いの。それに今夜は暖かいわ。もうすぐ春ですもの」
義妹はちょっと空を見上げる。
「月の光が柔らかいでしょう。そうは思わない?」
確かに、そう言われてみれば春の気配が感じられなくもない。だが、それでもやはり夜は寒い。
ティベリウスはそれを話そうとしたが、義妹が何か言いかけたのが判ったので口を噤む。義妹も黙りかけたが、ティベリウスが目で促すと小さく頷いて口を開いた。
「リウィッラに子供が出来たわ」
ティベリウスは眸を瞠った。ゲルマニクスの子たちも法律上では孫にあたるが、今度は初めての直系の孫だ。義妹は頬笑む。
「夏の終わりにはお祖父様になるのよ、ティベリウス」
ティベリウスはしばらく言葉を思いつけずに黙っていた。ドゥルーススは、ティベリウスが二十八歳で授かった子供だ。確かに息子の成長は目覚しかったが、それでも随分と晩熟な風に見えるドゥルーススが、十九歳で早くも父になるとは。そして、ティベリウスは四十八歳で祖父になるのだ。