第七章 イムペラトル 場面四 国父アウグストゥス(三)
「アグリッピナ」
その時、アウグストゥスがたしなめる口調で言った。夫を見つめていたアグリッピナは祖父を見る。
「はい」
「挨拶をしなさい」
それでようやく、義父に挨拶をしていないことに気づいたのだろう。アグリッピナはドゥルーススを乳母に預け、ティベリウスに向き直った。
「失礼いたしました」
アグリッピナはティベリウスの手を取った。
「お会いできて嬉しいです。義父上」
「幸せそうで何よりだ」
ティベリウスはアグリッピナの額に軽く口付ける。アグリッピナは上品な笑みを浮かべてティベリウスを見つめた。交わされる言葉の空々しさは、誰よりもお互いが判っていた。ゲルマニクスもふと気づいた様子で、持ち上げていたネロを下に降ろし、身を屈めて長男の両肩に手を置き、ティベリウスに向き直らせた。
「お祖父様に、挨拶を」
幼子は恐る恐るといった表情でティベリウスを見上げる。ティベリウスは苦笑してネロの頬に触れ、「いい子だ」と言った。大抵の子供は、どうやらティベリウスに威圧感を感じるらしい。泣き出さないだけ度胸がある方だ。
アウグストゥスはゲルマニクスに向かって言った。
「わたしたちは少し話がある。夕食の席で会おう」
「はい」
ゲルマニクスはアグリッピナの背に手を触れ、長男の手を引きながら部屋を出て行く。出てゆく前に、アグリッピナはアウグストゥスの頬に軽くキスをした。彼らの姿が消えると、ティベリウスは正直ホッとする。