第七章 イムペラトル 場面四 国父アウグストゥス(二)
アウグストゥスが待つ応接室の壁には、一面に蝶や小鳥が舞う果樹園の風景が描かれていた。緑と黄色を基調にした、落ち着いた雰囲気の壁画は、ティベリウスにふとローマへの郷愁を起こさせた。久しく忘れていた感覚だった。ティベリウスがゲルマニクスを伴って部屋に入った時、アウグストゥスはアグリッピナとその子供たちと共に椅子に掛けていたが、すぐに立ち上がり、頬笑みを浮かべて両手を広げた。
「ティベリウス」
アウグストゥスはアグリッピナに軽く手を添え、ゆっくりとティベリウスに歩み寄ってきた。その後ろに、アグリッピナの子供たちを連れた乳母が続く。ゲルマニクスとアグリッピナの間には、一歳半になる長男ネロ、そして生後三ヵ月に満たない次男ドゥルーススがいる。乳母は次男を胸に抱き、よちよち歩きの長男の手を引いていた。アウグストゥスは頭一つ分以上高いティベリウスの身体を抱いた。
「よく来た。よく来てくれた………」
ティベリウスもアウグストゥスの背に腕を回した。
養父は年をとった―――
ティベリウスは改めて思った。前に会ったのはもう一年近く前になる。その時と比べると少し痩せたし、どう形容していいのか判らないが、全体から受ける印象がぐっと老け込んだ。唯一残っていた男孫、ポストゥムスを追放刑に処したことも影響しているのだろうか。
傍らではゲルマニクスが、アグリッピナにキスの雨を降らせていた。アグリッピナは制止とも再会の喜びともつかない声で、ゲルマニクスの名を呼ぶ。
アウグストゥスは身体を離し、改めてティベリウスを見た。
「痩せたな」
アウグストゥスの言葉に、ティベリウスは苦笑する。それはこちらの台詞だ。
「あなたこそ」
「わたしは年のせいだ。そなたはまだ肉が落ちる年齢でもあるまい。ろくに食事もとらずに仕事に励んでいると、ドゥルーススが首都で心配している」
その時、乳母の腕に抱かれていた幼子が泣きだした。アグリッピナはすぐに我が子を胸に抱きとる。母に抱かれたドゥルーススはすぐに大人しくなった。
子供を抱いた姿が誰かに重なる。それはすぐに判った。ユリアだ。十九歳のアグリッピナは、ユリアがアグリッパ将軍との間に次男、ルキウス・カエサルを授かった頃と同じ年頃だ。
アウグストゥスはゲルマニクスとも抱擁を交わした。「よく来てくれた」と言葉をかけられたゲルマニクスは身体を離し、快活な笑みを浮かべる。
「妻と子供たちを連れてきて下さって、感謝します。戦いの疲れも北の国の陰鬱さも、一瞬でわたしから消え去りました」
アウグストゥスは顔をくしゃくしゃにする。
「それは何よりだ」
ゲルマニクスは乳飲み子の頭を撫でた。
「抱かせてくれ、アグリッピナ」
「どうぞ」
アグリッピナは言ったが、その前に長男のネロがゲルマニクスの衣の裾を引っ張り、「抱っこ!」とせがんだ。ゲルマニクスは笑って身を屈め、長男の胴を持って高く持ち上げた。
「重くなったぞ!」
弾んだ声で言う。ネロは歓声を上げた。