第七章 イムペラトル 場面三 アウグストゥスの焦燥(一)
建国暦七五八年(紀元六年)は、率直に言ってほとんど戦況に変化がないまま終わった。冬を迎えても、ティベリウスはローマに戻らず、シスキアで新しい年を迎えた。ゲルマニクスはローマに戻り、家族と久しぶりの再会を果たした。そしてこの年、規定年齢より六年早く、十九歳の若さで財務官に選出された。
反乱勃発から丸一年が過ぎ、アウグストゥスは、やはり焦っていたのだろう。
武器を取って戦う反乱軍は、その数およそ二十万人。それに対し、最初ティベリウスの下にいたのは五個軍団―――補助軍を合わせてもせいぜい五万といったところだ。冬までに若干増強されてはいたが、それでも二十万には遠い。この第一人者は、膠着状態の戦況を打破するために、とにかくこの兵力差を埋めることを考えた。
そしてアウグストゥスがかき集めたのは―――それはほとんど「かき集めた」といってよかった―――ティベリウスに手紙で知らせた、東方からの四個軍団だけにとどまらなかった。志願兵、再徴集された退役兵、各国や属州から提供された歩兵隊や騎兵隊も相当数に上った。そして更に元老院議員や裕福な家庭からは、対価を払って奴隷を買い上げることまでした。買い上げた奴隷は、アウグストゥスによって奴隷身分から解放され、解放奴隷として組織された。
その数、およそ十万。数でいえば、これで十五万対二十万である。ローマには彼らを指揮するだけの経験豊かな指揮官がそろっていたとは言いがたかったのだが―――彼らの多くは既に前線に投入されていたので―――、アウグストゥスにすれば、送り込みさえすれば、後は「軍事に最も精通した人」であるティベリウスがうまく活用すると信じて疑っていなかったのだ。アウグストゥスはこの言葉をティベリウスに対して一度ならず用いている。確かに、それは適切な形容ではあった。
だが、事はそう単純ではない。第一人者からのこの「贈り物」は、軍事に精通し、冷静沈着で知られた総司令官をさえ、しばらくとはいえひょっとすると反乱軍以上に悩ませる結果となったのだ。
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