第七章 イムペラトル 場面二 軍団基地(七)
夕食は用意された食卓を親衛隊兵たちと囲んだ。宴会というほど派手なものでは勿論なかったが、「卵から林檎まで」とはいかなくても一応簡単なコースメニューで、初日はゲルマニクス、副司令官のサトルニウス他数名が同席した。ティベリウスは顔を出さなかったが、アウグストゥスの使者とはいえ、息子であるドゥルーススに対し、「何かと所用があるので」と食事を共に出来ないことを律儀に詫びたあたり、実に父らしかった。
快活なゲルマニクスや、話好きらしいサトルニウスのおかげもあって、話は弾んだ。サトルニウスは首都の様子を尋ね、ドゥルーススは軍団のことを様々に尋ねた。この軍団基地を訪問して、父の慎重さに感心したし、改めて父を尊敬した、と率直に言うと、サトルニウスは微笑した。
「総司令官はさぞお喜びでしょう」
上品な笑みは、いかにも趣味人として有名な彼らしかった。
「父に誇りとされ、息子に尊敬されることほど、男にとって誇らしくまた名誉なことは他にありませんからな」
サトルニウスはカップのワインを飲み、ドゥルーススにも注ぎ足すよう給仕係に目で指示を与えた。
「総司令官殿は長期戦を覚悟でこの戦いに臨んでおられる。戦いが長引けば長引くほど、国土は荒廃し、自国を戦場としている敵軍には不利になる。国力の勝負となれば、万に一つも我が軍に敗北はありません。イリュリア人たちは、必ず再び我がローマに屈するでしょう」
ティベリウスの戦略に確信を持っているのだろう。サトルニウスはきっぱりと言った。
「だが、都ではもっと迅速な勝利を期待しているはずだ。そうだろう、ドゥルースス」
ゲルマニクスに水を向けられ、ドゥルーススはややためらったが、ちょっと頷く。確かに、アウグストゥスは明らかに苛立っている。兵力の増強も、ティベリウスからの要望ではなく、アウグストゥスが決めたことだ。
「一気に叩けるなら、それが結果的には「最小の犠牲」かもしれない」
ゲルマニクスの言葉に、サトルニウスは落ち着いた口調で反論した。
「「一気に叩ける」ならね。敵は広い属州内に遍在し、共同歩調こそとっていても、指揮系統は統一されていない。これを鎮圧するには、総司令官殿の方針通り、自軍の犠牲を最小にして、相手の疲弊を待つのが上策だ」
戦況は膠着状態だった。地勢を知り尽くした属州民たちに、決定的な一撃を与える機会は中々訪れそうにない。多くの人々が言及していることだが、ローマ軍はゲリラ戦と海戦は不得手なのだ。
ティベリウスは「更迭されなければ」と言った。華々しさを欠き、効果が中々現れない持久戦を戦い抜くためには、軍団内のみならず、本国の強固な支持が不可欠だ。ドゥルーススもまた、父の戦略は正しいと思う。だとすれば、ドゥルーススはローマにあって、誰よりもまずアウグストゥスにそれを判ってもらわなければならない。それが、恐らく今のドゥルーススの役割なのだ。
いくら宴好きのローマ人とはいっても、交戦中の要塞で朝まで騒ぐわけにもいかない。夕食は当然のように早々にお開きにはなった。
「貴重なお時間をありがとうございました」
一同にそう挨拶の言葉を述べたドゥルーススに、サトルニウスは悪戯好きの子供のような笑みを見せて言った。
「役得でしたよ。久しぶりに酸いワイン(アケトゥム)以外のワインを飲みました。しかも、給仕つきでね。我らが総司令官殿に申し訳ない」
一同は笑った。恐らく冗談なのだろう。さすがに執政官格の軍団副司令官が、一兵卒並みにアケトゥム(下級ワイン)しか飲んでいないということもないはずだ。だが、武将としての能力もさることながら、恐らくサトルニウスのこの明るさもまた、軍団にとっては貴重な素質なのだろうと思う。父がこの老将を抜擢した理由も、その辺りにあるのかもしれない。
ドゥルーススはそれから父の宿舎に向かった。もう夜も遅い。眠っているかもしれない、と思いながら。
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