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第一章 父の帰還(十七) 場面四 弟の死(六)

 ティベリウスは弟の棺に付き添い、徒歩で雪の中を進んだ。ローマ軍にふさわしい、整然とした厳かな行軍だった。ただ、生きたドゥルーススの姿がないことだけが違っていた。行列の中心にあったのは、戦車ではなく、騎馬でもなく、将校たちが担ぐ質素な棺だった。

 いくつもの殖民都市(コローニア)を通過するたびに、多くの人々がドゥルーススを迎えてくれた。それもどこか凱旋式を思わせた。だが、迎えたのは歓呼ではなく、悲嘆の声だった。

 冬営地ティキヌム(パヴィア)で、ティベリウスはアウグストゥスと合流した。ティキヌムはモグンティアクムからもローマからも、およそ二百マイル(三百キロ)離れている。はるばるこの北の地までドゥルーススを迎えにきたアウグストゥスは、静かにティベリウスの身体を抱いてくれた。

 葬儀はローマで取り行われ、ティベリウスとアウグストゥスがそれぞれ追悼演説をした。遺灰はアウグストゥスが家族のために建てた巨大な霊廟に葬られた。元老院はこの時、ドゥルーススのためにいくつもの栄誉を議決しており、「ゲルマニクス」―――ゲルマニアを征した者という称号もこの時に贈られたのだ。

 ティベリウスは弟の葬儀が終わるとすぐにローマを離れ、総司令官ドゥルーススを失ったレーヌス河防衛線へ引き返した。ダーウィヌス河の防衛線よりも、レーヌス河の防衛線の方がはるかに不安定だったからだ。



     ※



 翌春、ティベリウスはドゥルーススのものだった軍を率い、ゲルマニアへ軍を進めた。ドゥルーススの遺志を継いで―――

 国境線をレーヌス河からアルビス(エルベ)河へ移すというアウグストゥスの壮大な計画も、あの頃は実現間近に見えた。



     ※



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