第七章 イムペラトル 場面一 苛立ち(二)
戦況は、使者を通じて刻々とアウグストゥスの下へ届けられていた。ティベリウスには、恐らくこの第一人者の焦燥が判っていたのだろう。シスキアからは五日とおかず簡単な内容ながら報告書が送られてきた。そしてまた、戦死した兵士たちのリストや、彼らの遺品も―――
職業兵士たちには、独身が義務付けられている。妻帯者は離婚しなければ兵士にはなれない。故に遺品は妻や子の許ではなく、親や兄弟の許へ届けられた。ドゥルーススは街で喪服姿の市民を見かけるたび、遺族ではないかと胸が痛んだ。また犠牲者の数は、総司令官たるティベリウスに対する評価に直結する。
最初の衝撃から立ち直ったローマでは、次第にティベリウスの総司令官としての能力に対する疑問の声が上がり始めた。初めこそ、アウグストゥスの言葉を借りれば「十日の距離にいる」敵の存在に騒然となったローマだったが、彼らはその距離にも関わらずローマ本国へ進軍してくる気配さえなく、結局市民たちにとっては遠い存在であり続けた。「たかが」属州の反乱で一度は浮き足立った大国ローマの市民たちは―――それはアウグストゥスとて例外ではなかったのだが―――、今度はまるでその反動のように、「反乱軍の一つや二つ」、迅速に鎮圧できないことを、総司令官の能力の乏しさに帰し始めたのだった。
アウグストゥスは、さすがに後継者ティベリウスの指揮能力を大っぴらに云々することはなかったが、一向に変化する様子のない戦況に、明らかに苛立ちを覚え始めていた。アウグストゥスは、兵力の増強を模索していた。志願兵の募集や退役兵の徴集は早くから始められていたが、更に、自由人のみでなく、裕福な家庭から奴隷を買い上げて解放奴隷とし、彼らを軍隊に編成するというやり方までとった。東方に配置されている軍団には移動命令が出された。友好国や属国にも資金や兵力の提供を求めた。
ドゥルーススが親衛隊兵を伴い、アウグストゥスの使者としてシスキアを訪れたのは、七月も半ばを過ぎてからだった。