第六章 属州の反乱 場面一 マルコマンニ一族(二)
マルコマンニ族制圧は、ティベリウスにとってやや気の重い任務ではあった。このゲルマンの一族は、かつてはレーヌス河の東岸、ちょうどモグンティアクムの対岸周辺に居住していた。十八年前に、ドゥルーススによるゲルマニア侵攻が始まり、この一族もローマ軍と戦って敗れた。
だが、マルコマンニ一族は賢明にも、その後はゲルマニア侵攻の拠点となっていたレーヌス河東岸やゲルマニア海(北海)付近を避けて、まずフランケン地方へ、ついで現在の居住地であるダーウィヌス河北岸、アルビス河上流地域であるボイハエムム地方―――以前ボイイ族が住んでいたため、こう呼ばれていた―――に一族ごと移動したのだ。
この地方は、レーヌス河からゲルマニアに侵攻するレーヌス軍団と、ダーウィヌス南岸のラエティア、ノリクム、パンノニアといった地域の属州化を進めていたダーウィヌス軍団の狭間にあたる。この地域へ移動したマルコマンニ族は、ローマとも一定の外交関係を持ち、親ローマ的なゲルマンの一族として生きてきた。移動したのはドゥルーススが死ぬ少し前の頃のことだったから、既に十四年はこの地で生活を続けていることになる。
ローマとの衝突を避けて故地を遠く離れ、新天地でもこの短期間で見事にゲルマンの有力部族としての地位を確立したマルコマンニ族―――それを、再び「制圧」しなければならないとは。
しかもティベリウスは、この一族を束ねる族長マロブドゥスを個人的に知っている。友人だったと言ってもいい。
彼はマルコマンニ族がドゥルーススに敗れた際に人質としてローマに送られ、一年ほどアウグストゥスの下で過ごした。彼が二十歳の頃だ。ティベリウスよりも十歳ほど年少になる。黄金色の髪と空色の眸が印象的だった。元来聡明で、ゲルマニアにあった頃から大国ローマについて研究してきたであろうマロブドゥスにとって、この一年はほとんど留学に近いものがあっただろう。来た時から既に達者なラテン語を操っていた。
ティベリウスにとって、マロブドゥスの「文明化」されていない闊達さと、異文化に対しての柔軟さは興味深かった。彼は自分たちの一族よりはるかに進んだ文明や洗練された文化を、その持ち前の好奇心で貪欲に吸収する一方で、森の民である自らの一族への誇りは失わなかった。
彼によると、ローマ人はどんなものにでも所有印を捺さずにいられないしみったれで、官位や階級の階段を一歩でも上がろうと常に汲々としている肝っ玉の小さい人種なのだそうだ。厳粛なものであるはずの結婚を、二度三度と平気で繰り返す。上流の者は子分の機嫌をとるために下らない見世物でバカバカしいほどの金を費やす。晩餐と称して食べ物にわけの判らない複雑な趣向を凝らし、よく食えるなと思うようなものを珍重して大枚をはたいた上、どれもこれも食い散らかしては大量の食べ残しを発生させ、翌朝には子分がその残飯を求めて親分の家に群がるのだ。そう言われると反論の言葉もなかった。