第六章 属州の反乱 場面一 マルコマンニ一族(一)
「君たちのいう「文明化」を受け入れぬ蛮族には、何をしようと許されるのか。侵略者よ、わたしは挑発されぬ限りローマに対して決して弓引かぬと約束し、そして事実そうしてきたはずだ。その返礼が、三方から我々に長槍を向ける五万の大軍か。それが、文明の民ローマ人の礼儀か」
ティベリウスによるゲルマニア戦役は順調に進み、遂にアルビス河に達する。マルコマンニ一族の制圧が、その総仕上げとなるはずだった。だがローマ本国の東、アドリア海を挟んだダルマティア属州で大規模な反乱が勃発し、ティベリウスは北のゲルマニア、南の反乱軍のただ中に置かれる事になる―――
【主な登場人物】
〇マロブドゥス(BC30(頃)-AD37):ゲルマン系のマルコマンニ一族の族長。マルコマンニ族は、かつて大ドゥルーススに敗れ、ボヘミア地方へ移住した。優れた統率力で他部族を次々傘下に収め、今では七万の兵を擁する。大ドゥルーススに敗れた二十歳前後に一時人質としてローマで過ごしており、ローマの事情に詳しい※
ティベリウスのゲルマニア侵攻は、順調そのものに進んだ。二年目になる建国暦七五七年(紀元五年)、ゲルマニアの心臓部に設営した冬営地から進軍を開始したティベリウスは、秋にはついに念願だったアルビス河に達したのだ。ドゥルースス以来、実に十四年ぶりの快挙だった。破竹の勢いで進むローマ人の前に立ちはだかる部族は、もはや一つもないかのようだった。ゲルマニアの諸部族は、ある者は戦い、ある者はもはや戦わずしてローマの軍門に降り、武器を捨て、ローマ軍の前に―――総司令官であるティベリウスの前に膝を屈した。その名を轟かせていた強大な部族も、ローマ人が名前すら知らなかった小さな部族もあった。
ティベリウスはこの戦果を携え、昨年よりも少し早くアルプスを越えてローマに帰還することができた。不在の間、首都では地震や食糧不足といった危機も起こっていたが、それも対処できないレベルのものではなかった。六十八歳になったアウグストゥスだが、第一人者としての重みは揺らぐ気配もない。十七歳になったばかりのドゥルーススも、未熟ながらも父に代わってアウグストゥスを援け、小ティベリウスを援けて、家長代理としての役割を果たそうとしていた。一年の三分の二を離れて過ごしているだけに、息子の成長の早さには驚かされる。責任感の強いこの息子は、ティベリウスの代わりを務めることで多くの事を吸収してくれたようだった。
本来なら、そろそろドゥルーススも戦場に伴いたい。ようやく従軍可能年齢に達したのだ。だがアウグストゥスの高齢を考えると、ゲルマニクスかドゥルースス、いずれかはローマに残しておきたい。そうなると、「ゲルマニクス」の添え名を持ち、父の遺志を継ぐのだと意気込んでいるガイウスを戦線から外すことは、本人も納得しないだろうし、軍の士気にも影響が出る。ようやく軍隊生活にも慣れ、この夏からは騎兵隊を任せられるようになったところだ。息子と共に戦場へ向かうのは、次の機会を待たねばならないらしい。果たして、次の機会があるのかは定かではないが。
そう―――翌春からの戦役こそ、このゲルマニア制圧の総仕上げともなるはずだった。すなわち、族長マロブドゥス率いる、マルコマンニ族の制圧だ。
※
【地図3】ローマ北部とその周辺(紀元1世紀初頭)
ティベリウスがゲルマニア戦役やパンノニア属州の反乱で戦った地域。
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※執筆当時マロブドゥスの生年が判らず、ティベリウスと同世代に設定していたのですが、BC30年頃の生まれと資料にあったため訂正しました。本文も修正してあります。展開上の改変は特にありません。