第五章 ゲルマニア戦役 場面四 マクロ(五)
翌日、雨が上がるのを待って、ドゥルーススはマルクスと共に輿でピソの別邸に移動した。雨にうたれたせいなのか、それともひどく殴られたせいなのか、ドゥルーススは熱を出して動けなくなってしまったのだ。
マルクスはきびきびと指示を出し、邸を管理しているらしいマギウスという男をドゥルーススに紹介し、希望があれば何でも申し付けてくれればいい、と言った。
「明日の朝にはまた来るよ。ゆっくり休んでくれ」
ドゥルーススは恐縮するしかない。
「何もかも、本当にごめん。君には迷惑ばかりかけてるな」
マルクスは微笑する。
「水臭い事を言うなよ。友人が怪我をしていたら、助けるのは当たり前だ」
「………」
ドゥルーススが何も言葉を返せずにいると、マルクスはマギウスに「後は頼む」と言い残し、あっさりと部屋を出て行ってしまった。
四日後、ドゥルーススは邸に戻った。ポストゥムスは一旦戻ってきたらしかったが、ドゥルーススが帰宅する前に、再び家を出てしまっていた。ドゥルーススはそれを聞いてため息をつくしかなかった。
『彼はアウグストゥスも、ティベリウス・カエサル将軍も、ローマも、自分を取り巻く全てを憎んでいる。自分自身をさえだ。生きることの暗い面にしか眼を向けようとしない。それが面白い』
マクロの言葉を思い出す。ドゥルーススには正直、そんな人間の心中がどんなものなのか、見当もつかなかった。マトモ過ぎると言われた自分には、所詮判らないことなのだろうか。それを「面白い」と評することさえ、ドゥルーススには出来ない。ただ、何とも言えない重苦しい感情に囚われるだけだ。
ドゥルーススは、かつて父が自分を棄てたことに腹を立てていた。父の勝手な行動に腹を立て、説明してくれない事に憤った。その怒りを、父にぶつけもした。それでも、父を憎んでいたか、と問われると、そうではなかったようにも思う。
父がドゥルーススの許へ駆けつけたあの嵐の日、ドゥルーススは恐らく父を赦した。父のことを理解できたなどとはとても言えなかったが、少なくとも、父は単なる身勝手な男ではなかった。ドゥルーススの母を愛し、ドゥルーススを愛してくれていた。ローマとアウグストゥスのために戦い続けてきた、誇り高い貴族の男であったのだ。
ドゥルーススは、改めて父を知りたいと思った。そして―――父と共に生きたいと思えるようになった。
たったそれだけの事で、ドゥルーススは以前よりもずっと幸福になったのだ。怒りや憎しみではなく、尊敬と愛情をもって父を思うことが出来るようになったという、ただそれだけで。
ポストゥムスは、果たして幸せなのだろうか。憎しみに凝り固まったままで、人は幸福になれるのだろうか。彼に会って尋ねたいと思う。それも笑われるだけだろうか。
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