第五章 ゲルマニア戦役 場面四 マクロ(一)
水音―――
ドゥルーススは眼を開けた。部屋は暗く、どこかに置かれているのだろう、オイル・ランプの明かりだけが室内を照らしているのが判った。
ゆっくりと目が慣れてくる。見知らぬ部屋だ。思いのほか近いところに天井がある。半身を起こそうとして、ドゥルーススは激痛に呻いた。ニゲルが傍らからドゥルーススの頬を冷やしている。胸元には包帯が巻かれ、濡れた布が当ててあるらしい。
「気が付いたか」
マクロの声がした。
「おれの部屋だ。まだ身体は動かさない方がいい」
「君は案外無茶をするんだな、ドゥルースス」
少し離れた所から、ピソの声がした。
「何故、ピソ殿が………?」
「花街のど真ん中で会って、理由を訊くかね」
「………」
「冗談だよ。通りがかりだ。友人宅で時間を過ごしすぎてね。邸に戻るところだったんだが、見覚えのある男が血相を変えて人を探しているものだから」
グナエウス・ピソは寝台の傍らに歩み寄る。
「大丈夫か」
「はい………」
ドゥルーススが答えると、ピソは渋い顔をする。
「そうは見えないが」
ピソは寝台の端に掛けた。
「話は二人から聞いたよ」
ため息混じりに言った。
「父譲りなんだか、責任感が強いのは大いに結構だ。だが、こんな軽はずみなことはしてはいけない。危うく死にかけたんだぞ」
叱責する口調になる。
「ぼくは、ただ………」
言いかけて口ごもる。死にかけたと言われれば、確かにその通りかもしれない。マクロが止めてくれなかったら、ひょっとすると―――考えたくはないが―――ポストゥムスに殴り殺されていたかもしれないのだ。
「ポストゥムスのことは放っておけ」
命令するように言われ、ドゥルーススは反論した。
「そうはいきません。父もゲルマニクスも居ない今、ぼくには責任があります」
「何の責任だ。一族に対する責任か。それなら、一番責任を負うべきなのはアウグストゥスだ。君が命を賭けることじゃない」
「アウグストゥスは六十七歳です。あなただって、一族のためなら父君の代わりに命を賭けるはずだ。違いますか」
「―――」
しばらく沈黙がある。ピソは宥めるように毛布の上からドゥルーススを叩き、苦笑する。
「君は案外痛いところを突く」
しばらく沈黙が降りる。
「ピソ殿」
「ん」
「すみません、生意気を言って………」
ピソはちょっと笑い、ドゥルーススの頬を軽く叩いた。
「謝るようなことじゃない」
「何故、ぼくのことを色々と気遣って下さるんですか」
「悪いかね」
「いえ………嬉しいです。ぼくが父を信じることが出来るようになったのは、あなたのおかげです。ただ、どうしてかなと」
「理由などどうでもいいだろう。君は親友の一人息子で、息子の学友で、そしてわたしの友人だ。友人として、わたしなりに君を心配しているだけだ」