第五章 ゲルマニア戦役 場面三 ポストゥムス(十二)
脇に誰かの肩が入った。
「立てるか」
尋ねた声で、マクロだと判る。ドゥルーススは足に力を込めた。ほとんど引きずられるようにして立ち上がってから、ドゥルーススはふと気づいて言った。
「マクロ」
情けないほど、かすれた声だった。
「ん」
「汚れる………」
マクロは低く笑った。
「変なところに気を回す人だ、あなたは。―――フィリッポス」
「ああ?」
「後始末を頼む。おれはこのお坊ちゃんを送ってくるよ」
「適当なところに捨ててこいよ。カエサル家の御曹司をそんな有様にして、のこのこお届けに行ってみろ。護衛兵に斬り殺されるぞ」
「敵はとってくれるだろう?」
「ごめんだな」
男たちが笑った。
軽口の応酬を聞きながら、ドゥルーススは内心、パラティウムまで歩けるだろうか、と思った。むしろ、どこかでしばらく休みたい。
マクロは店を出ると、「ヤバいな」と呟いた。
「降り出しそうだ」
「ドゥルースス様!」
ニゲルの声だ。探し回っていてくれたのだろうか。ドゥルーススはホッとした。だが続いて聞こえてきた声にはぎょっとして思わず少し顔を上げた。
「ドゥルースス」
「ピソ殿………!?」
ピソはドゥルーススの顎に軽く手を添え、顔を覗き込んだ。
「何があった」
「何故………」
ドゥルーススは弱々しく言ったが、吐きそうになったので口をつぐむ。ピソはマクロに目を向け、厳しい調子で詰問した。
「誰の仕業だ。ポストゥムスか」
マクロは怯む様子もなく、ちょっと空を仰ぐ。
「後にしないか」
言った時、ぽつんと頬に雨の滴が当たった。
「お前」
マクロがニゲルに向かって言った。
「手伝え。少し行ったところにおれの部屋がある。だが五階なんでね。来てくれて助かったよ」
「はい」
ニゲルは答え、ドゥルーススを背に負った。記憶はそこで途切れた。