第五章 ゲルマニア戦役 場面三 ポストゥムス(十一)
ポストゥムスは座ったままドゥルーススの胸倉を掴み、充血した目をドゥルーススに向けた。
「相変わらずお綺麗な物言いだな。あの優雅なパラティウムの丘で、お上品な長衣やドレスで着飾った連中の取り繕った腹黒さにはヘドが出る! あの男とリウィアはおれを殺す機会を虎視眈々と狙っている。アウグストゥスはおれも母上も、まるで身の内の腫瘍のように蔑んでいる。家族ごっこにはもううんざりだ。いっそおれもどこかへ追放でもするがいい! 清々する!」
「ポストゥムス!」
「ドゥルースス」
マクロは立ち上がった。
「帰った方がいいな。ここはあなたのような人が来るところじゃない」
ドゥルーススは男の眸を睨んだ。
「帰るさ。だが、ポストゥムスは連れて帰る」
「それは自由だが、彼がどう言うかな?」
その言葉が終わるのも待たず、ポストゥムスは蹴り上げるようにして席を立った。肩を掴まれ、鳩尾に拳を叩き込まれたドゥルーススは、呻き声を上げてその場に膝をつく。周囲が騒然となったのが判った。
「先刻のお返しだ」
ポストゥムスは言い放つと、ドゥルーススの胸を蹴り上げた。ドゥルーススは吹っ飛ばされ、後ろのテーブルを巻き添えに、床に仰向けに倒れる。そこへポストゥムスがのしかかってきた。馬乗りになり、ドゥルーススの頬を拳で殴りつけた。
「呼ぶんじゃねえ、バカ野郎!」
誰かが怒鳴った。夜警隊のことだろう。
「遊びだ遊び!」
「何見てやがる!」
切れ切れに耳に聞こえてくる。その間にもポストゥムスは手を緩めなかった。二度、三度と拳を叩きつけられる。容赦ない力だった。ドゥルーススは腕で防ごうとしたが、誰かが横から腕を掴み、床に押し付ける。無抵抗のまま殴り殺されるのではないかとさえ思ったが、不意にそれがやんだ。
「その位にしておけ。死んだら後が面倒だぞ」
マクロの声だった。その場にそぐわない、呑気な声だ。ややあって身体の上の重みが消え、ドゥルーススは軽く頬を叩かれて眼を開けた。
「大丈夫か」
「………」
ドゥルーススは答えず、身体を起こそうとした。だが、そのまま起き上がるのはどうやら不可能らしい。ドゥルーススは何とか身体をよじり、うつぶせになって床に肘をついた。途端、猛烈な吐き気がこみ上げてきて、こらえきれず床を汚した。胃からか、口の中からか判らないが、血のにおいがする。
動けなかった。頭がぐらぐらして、右も左も判らない。周囲を探ろうとして、自らの吐瀉物の上に手を突いてしまう。
「いい格好だな。少しは懲りたか」
ポストゥムスが嘲笑した。