第五章 ゲルマニア戦役 場面三 ポストゥムス(七)
男は意外そうな面持ちでドゥルーススを見てから、軽く肩を竦める。寝台の上に脱ぎ捨ててあった短衣を身につけながら言った。
「ポストゥムス。君の話とずいぶん違うようだな」
男は言った。
「案外骨があるお坊ちゃんじゃないか。カエサル家の御曹司は」
「………」
ポストゥムスは答えない。男はベルトを留め、壁にかけてあった深緑色のマントを羽織った。
「さすがに二人の凱旋将軍の血を引くだけのことはあるようだ」
「二人?」
ドゥルーススは問い返す。
「あなたの母君はアグリッパ将軍の娘だろう」
ドゥルーススは改めて男の顔を見た。言葉づかいががらりと変わっていた。先刻ドゥルーススを「こいつ」呼ばわりした男が、「あなた」とは。大体、ドゥルーススがアグリッパ将軍の孫であることを意識する人間はそう多くない。一体何者だろう。場所が場所だけに誰何しないつもりでいたのだが―――ただのごろつきではないようだ。
「名を尋ねてもいいか?」
「クィントゥス・ナエウィウス・マクロ」
男はためらう様子もなく名乗った。ナエウィウス―――貴族に属する家名ではない。年齢は二十代後半といったところだろう。
「今回は、全く思いがけないところでお目にかかったものだが。次はきちんと長衣を着てご挨拶したいものだ。あんな見苦しいモノは隠してね。失礼をした、ドゥルースス・カエサル殿」
ドゥルーススはちょっと赤面する。マクロの笑みは僅かに深くなったようだった。
「では」
軽く手を振り、ポストゥムスの肩に親しみをこめた様子で手を置いてから、大股に部屋を出て行った。ドゥルーススはその背を見送り、小さく息を吐き出してからポストゥムスに歩み寄る。
「ポストゥムス」
肩に手をかけると、ポストゥムスは強い力でそれを払った。
「触るな!」
ドゥルーススは手を引く。ポストゥムスは立ち上がり、ニゲルに掴みかかった。
「貴様、何故、こんなところにいる!」
「ポストゥムス様―――」
ドゥルーススは慌てて割って入る。
「待つんだ、ポストゥムス! ぼくが案内を頼んだんだ。ぼくはこの辺りに不慣れだったから」
「金を出せ! アウグストゥスが父から奪った金だ! おれのものだぞ!」
ドゥルーススは強引にポストゥムスを引き離した。ポストゥムスは荒い息を吐きながら睨みつけてくる。ドゥルーススは辛抱強く言った。
「帰ろう。みんな心配してる」
「………」
「今日来たのは、アウグストゥスに言われたからじゃない。金もぼくが個人的に用立てたんだ。あの人のものじゃない」
ふん、とポストゥムスは鼻を鳴らした。
「アウグストゥスに神々の呪いあれ! ティベリウスとローマ軍に、神々の災いあれ! お前もだ、ドゥルースス! 誰かれとなくご機嫌取りに走り回りやがって、この腰抜けが。お前など、ゲルマニクスの使いっ走りじゃないか。天地が逆さまになったって、所詮お前にローマの統治権など回っては来ないものを!」