第五章 ゲルマニア戦役 場面三 ポストゥムス(六)
「ポストゥムス」
「金は持ってきたのか」
ようやくポストゥムスの野太い声がした。眠そうな口調だ。ポストゥムスはドゥルーススと同じ十五歳。しかも彼の場合、成人式さえまだ済ませていない。だが声も低く身体も大柄で、その横柄な態度も手伝って随分と年かさに見える。誰も十五歳の少年だとは思わないだろう。
「ああ」
「置いていってくれ」
「ポストゥムス」
ドゥルーススは入り口に立ったまま呼びかける。
「君も帰るんだ。君がいなくなって、もう一ヵ月以上経つ。皆心配している。父はゲルマニアに戻ったよ」
「我が兄上か」
言って、ポストゥムスはふん、と笑った。短い沈黙があって、怒鳴り声が飛んできた。
「このおれに、あの男の話などするな!」
ドゥルーススは嘆息する。
「………悪かったよ」
沈黙が降りた。
「こっちへ来い」
太い声が命じた。ドゥルーススは少し躊躇ったが、寝台に歩み寄る。ポストゥムスは半身を起こし、ドゥルーススの腕を掴んだ。酒の臭いがする。
「お前みたいなお坊ちゃんが、こんなところへ足をお運びとはな」
「帰ろう」
ポストゥムスの隣には、黒髪の女と栗色の髪の逞しい男が寝そべっていた。女は気だるげに寝台に横たわったままだ。男が腕を掴まれたままのドゥルーススの腰のベルトに手を伸ばす。ドゥルーススは嫌悪感から身体を引こうとした。ポストゥムスは酔っているにしてはすばやい動きで寝台を降り―――彼は全裸だった―――、ドゥルーススの身体を後ろから羽交い絞めにした。ドゥルーススは怒鳴った。
「何をする!」
「金はどこだ」
男も全裸のまま立ち上がり、ドゥルーススの身体を無遠慮にまさぐった。
「やめろ!」
「こいつ、持ってないぜ」
「騙したのか」
ポストゥムスはドゥルーススの動きを封じたまま、ドゥルーススの耳元で恫喝するように言った。ドゥルーススはもがきながら怒鳴る。
「違う、金は連れに持たせてある。離せ、ポストゥムス!」
ドゥルーススは男に言った。
「お前もだ、ぼくに触るな!」
「金を持ってこさせろ」
ドゥルーススは踵で思い切りポストゥムスのすねを蹴飛ばした。二人がかりということもあって油断していたのだろう、ポストゥムスは「うわっ」と叫んで飛びのき、その場に蹲る。再び掴みかかってこようとした相手の肩を掴み、鳩尾に拳を叩き込んだ。背後で男が動いたので、ドゥルーススは振り返り、睨みつけながら怒鳴った。
「ぼくに手を出すと、後で面倒なことになるぞ!身内のことに手を出すな!」
男はわずかに眉を上げる。相手の濃い茶色の眸を睨みつけながら、ドゥルーススは言った。
「ニゲル!」
すぐにドアが開き、ニゲルが入ってきた。ドゥルーススとポストゥムスの間に、ドゥルーススに背を向けて立つ。これで二対二だ。
「出て行け! 金が必要なら、ぼくが払う。アンティゴノスにそう言えばいい」