第五章 ゲルマニア戦役 場面三 ポストゥムス(二)
夕闇が近づきつつある空はどんよりと暗く、今にも降り出しそうだ。ドゥルーススは念のため雨避けの革のマントをニゲルに持たせ、まだ肌寒い早春の道を少し早足に歩いた。
パラティウムの丘は、貴族の邸宅が立ち並ぶ高級住宅街だ。「世界の首都」ローマの政治の中心であるローマ広場まで、なだらかな道を下ってすぐという好立地にありながら、喧騒とは無縁というこの丘に邸宅を構えることは、一種のステイタスでもある。
ティベリス河の流れを右手に見下ろしながらローマ広場へと下ると、ローマが誇る壮大な建造物の数々を見ることが出来る。着工から既に十五年以上という、大規模な改築工事が今もアウグストゥスによって進められている壮大なバジリカは、列柱に囲まれた二列の側廊を持つ長方形の建物だ。幅約二五パッスス(三七メートル)、奥行約五五パッスス(八一メートル)という巨大な建物で、議会や裁判の場となる。ドゥルーススはこの壮大な集会場と、隣接するカストル神殿の間を通って広場に入った。この神殿は、アウグストゥスの命を受けてティベリウスが昨年から改築工事を進めている。幅約二〇パッスス(三〇メートル)、奥行約三五パッスス(五二メートル)、高さ約四パッスス(六メートル)の巨大な基壇を持つこの壮大な神殿は、約五百年前に貴族の力の象徴として建築されたもので、その後もたびたび改修されてきた。ティベリウスはこれを、ローマ本国を南北に貫く、アペニン山脈の南に位置するルーニの石切り場から切り出した白大理石を用い、陽光の中に眩いばかりに輝く美しい神殿に生まれ変わらせようとしていた。
アエミリア集会場の横を抜け、幅約十五パッスス(二〇メートル)のメインストリート、通称聖道を横切り、ドゥルーススはスブッラと呼ばれる下町の賑わいの中に入っていった。幸いにも、知っている人間には会わなかった。
スブッラに入ると、ニゲルが先にたち、ドゥルーススの案内人を務めた。現在三十歳を少し越えたこの黒い髪のギリシア人は、以前ガイウス・カエサルに仕えていた男で、よく主人の遊び歩きの伴をしていた。
ドゥルーススがスブッラの一画の住所と地図を見せ、内密に案内して欲しいと頼むと、ニゲルはちょっと眼を瞠った。
「あなたが?」
「目立たないように、人を探したいんだ」
「ああ―――」
ニゲルは納得した様子だった。
「ポストゥムス様で?」
「………」
ドゥルーススは答えなかった。ニゲルは軽く肩を竦め、「判りました」と答えた。