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第五章 ゲルマニア戦役 場面一 北へ(五)

 演説の後半から、兵士たちの間に次第にざわめきが起こった。口々にティベリウスとドゥルーススの名を叫んでいるのが判る。それに混じって、総司令官(イムペラトル)、と叫ぶ声が聞こえる。やがてひとつになり、興奮した兵士たちの轟音のような鬨の声が上がった。皆足を踏み鳴らし、槍を鳴らし、叫んだ。誰も、静聴を求める者などいない。演説は、兵士の士気を高める目的でなされる。これ以上の成功は望めなかっただろう。幾度となく演壇に立ってきたが、これほどの熱気を感じたことはかつてなかった。

「祖国を守る比類なき戦士たちに、どうか神々のご加護のあらんことを」

 ティベリウスはそう演説を結んだが、既に聞こえているかは疑わしかった。演壇を降りたティベリウスは、そのまま兵士たちに近づいた。予定外の行動だったが、兵士たちの熱気に引き寄せられたようだった。

 突然、隊列の一角が崩れた。一瞬のうちに、ティベリウスは駆け寄ってきた兵士たちに取り囲まれていた。

 驚きでとっさに声が出てこない。厳格な規律を課されたローマ軍ではありえないことだった。さすがに制止の声や驚く声をもかすかに聞いたように思う。集まってきた兵士たちはティベリウスを囲み、総司令官殿、と口々に言った。マントの端を握り締めて泣き出す者もあった。確かにティベリウスが授けた記憶のある勲章や剣や市民冠を手に、兵士たちは口々に言った。

「総司令官殿、この日を夢にまで見ました。本当にこれは現実のことでしょうか」

「覚えておられますか、総司令官、パンノニアでのことを」

「わたしは湖畔で総司令官殿とドゥルースス将軍が合流したのをこの目で見ました」

「ゲルマニアで、あなたに勲章を授けていただきました」

「ラエティアで褒めて頂いたことは、わたしの一生の誇りです」

「アルメニアとダルマティアで従軍しました。ご記憶でしょうか」

 ティベリウスは口々に発せられる言葉を聞き、四方から伸びてくる手に触れた。名を呼び、視線を注いだ。老兵も、壮年の兵もいる。ティベリウスが放棄する形になったゲルマニアの国境を、九年の長きに渡って守護し続けてきた兵たちだった。行動を起こす見通しもなく、北の国境を守り続けてきた男たちだ。

 かけがえのない、わたしの兵士たち―――

 この日を忘れない。出来ることなら、ここにいる全ての兵士たち一人ひとりに名を尋ね、抱擁したい。自分はもう二度と、自らの意志で彼らの許を去ることはないだろう。お前たちとローマに、わたしは全てを捧げる。この身を使い切るその日まで、わたしは、お前たちのものだ。



          ※



 ティベリウスは全軍を二つに分けた。副将サトルニウスに託した第二軍には、ここからレーヌス河を越え、レーヌス河と並行する形でゲルマニアを貫いているアミシア(エムス)河、ウィスルジス(ウェザー)河、そして最終目的地であるアルビス河という三つの大河の上流地帯を制する任務を与えた。ティベリウスは第一軍を率い、ここからさらに北上してゲルマニア海(北海)へ抜け、下流地域を制して南へ攻め入る。北と南から、陸路と河川の両方を使ってゲルマニアを挟み撃ちにする作戦だった。かつて、ドゥルーススもゲルマニア海から内地へ侵攻している。ただし、その際は北上作戦は取られていない。当時はレーヌス河戦線とティベリウス率いるダーウィヌス(ドナウ)河戦線とが同時に進行中であり、北と南から同時に侵攻することは兵力の面から現実的ではなかったからだ。


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