第五章 ゲルマニア戦役 場面一 北へ(三)
「我々は、あなたがお戻りになるのを待ち焦がれておりましたよ」
幾夜かが過ぎた頃、話のついでのように軽い口調でサトルニウスは言った。
「皆、あなたの下で再び戦えることを心から喜んでおります」
老将は、ティベリウスの内心の不安を見透かしたのかもしれない。正直に言えば、ティベリウスとて不安だったのだ。不安だったし、緊張していた。たとえ元老院が九年ぶりに国政に復帰したティベリウスを冷たく迎えたとしても、そんなものをティベリウスは気にもとめなかっただろう。意地の悪い眼差しには慣れていた。ティベリウスは法定年齢よりもはるかに早く要職についた。お飾りではない。アウグストゥスは、ティベリウスに本当に仕事をさせた。二十歳にも満たぬ頃に任された仕事の中には、やり遂げられたものもあれば、うまくいかなかったものもある。事態の収拾にアウグストゥスの手を煩わせたこともあった。多くの庇護民を抱える家長として、十代も半ばで彼らの陳情を元老院で訴えた。アウグストゥスの要請を受け、メッサラを国家反逆罪で法廷に告発したのもその頃だ。アウグストゥスの継子として、婿として、あるいはアグリッパ将軍の婿として―――縁組によって、つまりは女の力で引き立てられている、という陰口に、ティベリウスは常にさらされてきたのだった。それを撥ね返すには、実力を示し続けるしかない。そして、ティベリウスは事実そうしてきた。
今感じている「不安」は、兵士たちに対してのものだった。理由はどうあれ、ティベリウスは九年前、ローマ軍から文字通り戦線離脱したのだ。最高司令官アウグストゥスの異動命令を拒否するという―――「命令不服従」という、軍人としてあってはならないやりかたで。そのティベリウスを、前線の兵たちは一体どんな気持ちで迎えるのだろうか。
だが、総司令官として、それだけは死んでも口に出来ない。サトルニウスの言葉に対しても、ティベリウスは微苦笑を浮かべて、ただ謝意を述べただけだった。サトルニウスもそれ以上は言わなかった。
ひたすらに北を目指す長い行軍の中で、ティベリウスはほどなくこの意味での自信も取り戻した。九年という空白があっても、ティベリウスは軍団を指揮するために必要なものを、何一つ失ってはいなかった。そして兵たちも、その総司令官に十二分に応えてくれたのだ。行軍の段階から、戦闘は既に始まっている。ティベリウスには、自分が軍団を完全に掌握していることが判った。士気は高く、規律は行き届き、快い緊張感が軍団を支配していた。世界に名だたるローマの兵たち、ティベリウスがかつて心から愛し、誇りとしていた軍団は、その輝きを少しも失うことなく、むしろ一層光を放っているようだった。
帰ってきた―――と、そう思った。
自分の身を置くべき場所を見出した時、人はもっとも幸福になれるのだ。
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