第四章 動き出した時間 場面五 奥津城(二)
ティベリウスは父の墓に触れた。ひんやりとした感触が伝わってくる。
生没年と官職のみを記した、簡素な墓碑だった。生涯を要約しようにも、最高権力者アウグストゥスに敵対し続けたのだから難しかったのだろう。父が死んだ時、友人が原稿を書き、ティベリウスが読み上げた弔辞は、後になって改めて読み返すと、父を愛してくれた友人の苦心の跡が伺えた。故人の徳を称えようにも、この後、ティベリウスとドゥルーススの保護者となる最高権力者に最後までしぶとく抵抗したとあっては、文章も歯切れの悪いものにならざるをえなかった。
共和政信奉者たちの最後の足掻きにも似た、大ポンペイウスの遺児たちの蜂起に身を投じ、シチリアへ、後にアントニウスに従ってアフリカへと転戦した父。リウィアの言う通り、政治的なセンスがあったとは言えなかったかもしれない。彼らにローマの未来を見ることが出来なかった、と静かに語った老グナエウス・ピソの方が、共和政信奉者としても結果的には賢明だっただろう。老人は言った。「神君を除いたところで、この国はもう我ら旧き貴族たちの手には戻ってこない。頭が代わるだけならば、わしはもうそのために戦う気にはなれなかった」。アントニウスは果たして共和政信奉者であっただろうか? そうではないだろう。アウグストゥスとアントニウスの戦いは、独裁か共和政かという、政体の選択などではなかった。二人はただ覇権を争ったに過ぎない。ローマの現実は統治者を必要とし、そしてそれを担う者としてアウグストゥスを選んだのだ。
国を思う者なら、誰もがそれぞれに迷い、悩み、必死に考えたのだ。父も考えたはずだ。信念に従って戦い、敗れ、そして絶望して自ら命を絶った。結果はどうあれ、その生涯はローマのために捧げられたのだと思う。
父上。あなたはわたしを赦して下さるだろうか。ネロ家を捨て、アウグストゥスの後継者となろうとしている息子を。
自分はもう、父たちと共にここに眠ることもできない。
ティベリウスは、墓碑の前に跪いた。
どうかお赦し下さい。そしてどうかわたしとあなたの孫たちを見守り、お導き下さい。あなたの血を引く者として、わたしたちが道を誤らぬよう。
この国を、どうかお守り下さい―――
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