第四章 動き出した時間 場面五 奥津城(一)
吉日を選ばせ、ティベリウスはドゥルーススとゲルマニクス、小ティベリウス、そして弟と自分との名で、クラウディウス一門の祖霊に犠牲を捧げた。クラウディウスとして生きてきたこれまでの日々に感謝し、訣別を報告し、そして、自分に代わってネロ家の筆頭人となる小ティベリウスの下で、一門に一層の繁栄がもたらされることを祈念した。
この日が、ティベリウス・クラウディウス・ネロが、一族の長として儀式を取り仕切った最後の日になった。
そして翌日、ティベリウスはゲルマニクスとドゥルースス、そして従者を二人だけ伴ってカピトリウムの麓にある一族の墓地を訪れた。クラウディウス一族の祖となるサビニ族がこの地に移住した時に与えられ、それから五百年の長きにわたって一族に受け継がれてきた奥津城には、人の姿もなかった。
古いものも新しいものもある。古いものは肌理の粗い石で、新しいものは大抵磨き上げられた大理石で作られたものが多かった。形も墓碑銘もさまざまだ。墓の主の生涯を簡単に要約したものもあるし、恐らく故人が生前から考えていたのだろう、「一足お先に」「ラティウム祭にはギリシアワインを忘れずに」など、少しひねった墓碑銘もあった。
ティベリウスは石の間を抜け、白大理石製のまだ新しい墓石の前に立った。息子と、まもなく息子になる甥は、黙って後に従う。
決して大きくはない墓は、まだ刻まれた文字もくっきりとしている。「ティベリウス・クラウディウス・ネロここに眠る」。
従者が香を焚くと、涼しい薫りがふわりとその場を包む。ティベリウスは息子たちを手振りで促し、自分の前に立たせた。二人の若者は、神妙な表情で祖父の墓の前に立つ。
「父上」
ティベリウスの声が、その場に静かに流れた。
「ティベリウス・ネロとして、最後のご挨拶に参りました」
ゆっくりと語りかける。
「ここに参りましたゲルマニクス、ドゥルーススと共に、わたしはクラウディウス一門を離れ、ユリウス・カエサル家の一員となります。クラウディウス・ネロ家の一員として、父上の息子としてのこれまでの年月に、今ここに―――深く感謝いたします」
従者が墓の酒口からワインを注ぎいれた。かぐわしい香りが漂う。少しの間、静寂がその場を支配した。
「ゲルマニクス、ドゥルースス」
二人は振り返る。
「少し、向こうで待っていてくれ」
ゲルマニクスはほっとした様子で「はい」と言い、ドゥルーススと共にティベリウスから離れた。ティベリウスはその背を見送り、少し苦笑する。十代の彼らに、ティベリウスの感傷を共有するのは無理だった。弟がいてくれたら、と思った。今、お前にとても逢いたい。
ドゥルーススの墓は、ここにはない。ドゥルーススの遺体は国葬され、アウグストゥスが築いた巨大な霊廟に安置されたからだった。ここから歩いて半時(約三十分)ほどの距離で、この後、二人を連れてそちらへ行く予定だ。ドゥルーススには来る必要はないと言ったが、行くと言ったので伴うことにした。