第四章 動き出した時間 場面四 後継者(二)
ティベリウスは椅子から立ち上がった。ドゥルーススは父を見上げる。
「少し、庭を歩こう」
扉を開け、ティベリウスは回廊に出た。ドゥルーススは黙って後についてくる。空は晴れ渡っていた。数人の使用人たちが、早朝の手入れにいそしんでいる。皆それぞれ作業の手を止め、主人とその息子に挨拶をした。この邸で過ごした時間は穏やかだった。
「まもなく、パラティウムに移るように言われている」
庭に造られた舗道を歩きながら、ティベリウスは言った。
「ここはどうするんですか」
「どうするかな。アウグストゥスに返すか………いっそローマに寄贈でもするか」
「パラティウムでは、どこに住むんですか? 義叔母上のところですか、それとも、アウグストゥスの邸ですか」
「アウグストゥスの邸になるだろう。この年で、部屋住みの身になるとは」
つい苦笑が浮かんだ。正直気が重かったが、養子になるということはそういうことだった。ティベリウスは実質二十歳にも満たぬ頃から当然のように持っていた、家父長権を失うことになる。
「ネロ家はどうなるんですか」
ドゥルーススが先に尋ねた。ティベリウスは足を止め、息子を見た。
「お前とゲルマニクスは、カエサル家に迎えられる」
ドゥルーススは目を瞠る。
「ぼくもですか」
「そうだ。ネロ家に残るのはティベリウスだけだ。ポストゥムスもカエサル家に入る。ポストゥムスはわたし同様アウグストゥスの養子として。ゲルマニクスは、わたしが養子に迎える」
ドゥルーススは驚いた様子だった。
「アウグストゥスは、お前はネロ家に残るものと思っていたようだ。だが、わたしがアウグストゥスに頼んだ」
「本当に?」
ティベリウスは頷く。ドゥルーススはしばらく黙っていた。
本当にこれでいいのだろうか。ティベリウスの中には、この息子にネロ家を継いで欲しいと願う気持ちもあった。共にユリウス一門に入れば、ドゥルーススに求められるのはカエサル家に尽くしながら決して表に立つことは許されない、という、労多くして報われることの少ない役割だった。ティベリウスは、弟を失い、たった一人で北の防衛線を担わなければならなかった時の重圧を知っている。ドゥルーススは、ゲルマニクスの助けになれる。だが、そのことをドゥルーススはどう考えるだろう。兄弟同然に育ったとはいえ、実際に従兄から兄になったゲルマニクスを、実の父の許で立て続けるという、入り組んだ構図を。
そして―――もうひとつ理由があった。ティベリウスは、息子を二度と捨てたくはなかったのだ。どんな形であれ、この息子に、自分の許にいて欲しかった。共にアウグストゥスの血を引かない、「ユリウス一門の異端」という難しい立場に立たせることになると判っていても。それはただの私情でしかない。
「ドゥルースス」
ティベリウスは沈黙を破って口を開いた。
「お前には、弟としてゲルマニクスを支えて欲しい」