第四章 動き出した時間 場面四 後継者(一)
ドゥルーススは、ほとんど夜明けと同時にやってきた。書斎に入ってきたドゥルーススは、緊張した顔で「おはようございます」と言った。それから父の前に腰を下ろす。
十五歳になった息子を、ティベリウスはしばらく黙ったまま見つめた。ロードス島から戻ってきた一年前と比べても、ぐっと大人の顔になった。背も伸び、逞しくなった。物腰にも重々しさがでてきたし、品格も備わってきた。
ドゥルーススはしばらく黙っていたが、やがて苦笑して言った。
「………どうなさったんですか」
「いや」
つくづく勝手な父親だった。恐らく、ティベリウスがこの息子に対して、「よい父親」であったことなど一度もないのではないか。ドゥルーススが一歳の時にはウィプサーニアと離婚し、後妻のユリアとの結婚生活はまもなく破綻した。それでもあのまま将軍としてローマで重んじられていれば、息子にしてもまだ父を認めることも出来ただろうが、六歳の時にはティベリウスはアウグストゥスと対立した挙句、ロードス島に引っ込んでしまったのだ。
「ドゥルースス」
「はい」
「わたしは、アウグストゥスの養子に迎えられることになった」
ドゥルーススは息を呑んだ。一瞬眼を見開いてティベリウスを見つめ、それから大きく息を吐き出した。
「予想していたか」
「………少し」
「何故そう思った」
「ガイウス殿亡き後、アウグストゥスには父上の力が必要だと思ったから」
ティベリウスはちょっと頷いた。二人の間に沈黙が降りる。ドゥルーススはカップを手に取り、一口飲んだ。中身は薄めに割ったワインだ。それから顔を上げて言った。
「おめでとうございます」
ティベリウスは苦笑した。
「おめでとう、か」
ドゥルーススは少し黙ってから、小さく頷く。
「だと思います。元老院に戻られるんでしょう? アウグストゥスの後を継がれるんですよね」
「そうだ」
「よかったと思います。父上は―――特にガイウス殿のアルメニアでのことが色々言われるようになってから、何だか―――すみません、ちょっと辛そうで」
「………」
「それに、多くの人がそれを望んでいます。この国は父上の力を必要としている。それはよく判りますから。この国のためにも、アウグストゥスは一番いい決断をなさったと思います」
ドゥルースス―――
少し、胸が詰まった。ティベリウスは、息子とは政治向きの話をするのを避けてきた。ティベリウスは対岸の火事をしたり顔で話題にする輩が大嫌いなのだった。一私人として政治から身を引いた以上、口も出さないのがティベリウスなりの礼儀だ。
いつの間に、こんなに大人になったのだろう。父を気遣い、この国を思う心を、一体いつの間に学んだのだろう。
ドゥルースス。愛しい者。わたしのドゥルースス―――そう呼びたい者は二人目だった。早くに死んだ弟と、同じ呼び名を持つ愛しい者。
ティベリウスは、ゲルマニクスのことを口に出せなくなった。アウグストゥスの血を引いていない、ただその一点が、ドゥルーススとゲルマニクスとを分けたのだ。今ならまだ、告げることが許されるだろうか。誰よりもお前を愛していると。お前を得たことがわたしの幸福であり、誇りであると。ゲルマニクスを養子に迎えれば、二度と口に出すことは出来ない。ドゥルーススは、この先ゲルマニクスより重んじられることは絶対に許されないのだ。それは、誰よりもまずティベリウスが率先して示さなければならない。継父―――いや、まもなく養父となる第一人者は、ティベリウスを後継者に抜擢はしても、ティベリウスから自分の後継者を選ぶ権利を事実上剥奪したのだった。