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第四章 動き出した時間 場面三 対話(六)

「ティベリウス」

 アウグストゥスは苦笑する。

「そなたの立場で、しかもその年で独り身というのは不自然だ。そなたの弟が死んで、もう十年になる。そなたがアントニアを大切にしてきたのはよく判っているよ。アントニアがそなたを実の兄のように愛してきたこともな。そなたたちは似合いの一対だ。そなたが夫としてアントニアを守ってやり、父親としてゲルマニクスや小ティベリウスを慈しんでやるなら、それはそなたの弟の心にも適うはずだ」

 ティベリウスはかぶりを振った。

「お断りします。それだけは、あなたが何と仰ってもお受けすることは出来ません」

「ティベリウス」

「あなたは―――かつてわたしを義父の妻と結婚させた。わたしはアグリッパ殿を尊敬していた。そのアグリッパ殿が遺した大切な娘を離婚して、わたしはアグリッパ殿の妻だったユリアと結婚しました。その結果がどうなったか―――あなたはよくご存知のはずだ。なのに―――今度は弟の妻ですか。実の弟が愛した女を、あなたは妻に娶れと言うのですか」

「―――」

 アウグストゥスは、これほど激しい拒絶が返ってくるとは予想していなかったのだろう。しばらくの間、気おされた様子で、黙ったまま継子を見つめていた。それから立ち上がり、ティベリウスの肩に掌を置く。

「ティベリウス」

 ティベリウスは額を押さえた。

「………言葉が過ぎました」

 ウィプサーニアは、あの当時、二人目の子を身ごもっていた。だが、アグリッパの死から二ヶ月も経たないうちに流産したと聞く。聞く、というのは、ティベリウスは離婚して以来、彼女とは一度も会わなかったのだ。姿を見かけたことはあっても、とても声は掛けられなかった。子が流れたという話をアントニアから聞いた時も、短い弔問の手紙を送るのがティベリウスには精一杯だった。

 マルクス・アグリッパは、家柄は低く、学問はなかったが、優れた将軍であり政治家だった。特に軍事の面では、ティベリウスもドゥルーススも彼に育ててもらったようなものだ。二十年前、アグリッパは自らが総司令官を務めるダーウィヌス(ドナウ)河戦線で、ティベリウスとドゥルーススに軍を二分して与えた。当時ティベリウスは二十六歳、ドゥルーススはまだ二十二歳だった。自ら軍を率いることも出来たし、むしろそれが自然だったかもしれない。だが、アグリッパは人を使い、育てることを知っていた。弟と共に司令官に任じられたあの時、どれほど誇らしかっただろう。アウグストゥスなど足元にも及ばない軍事の才能を持ちながら、アウグストゥスの右腕として生きることに徹した義父の助けなしには、今のアウグストゥスはなかったといってもよかった。

 指揮官として、政治家として、そしてまた義父としても、ティベリウスはアグリッパが好きだったし、尊敬していた。子煩悩で、陽性な男だった。孫のドゥルーススには、戦場での彼とはうって変わって極甘の祖父で、逞しい腕でドゥルーススを抱き、興が乗って上へ下へと振り回しすぎて―――それは中々に珍妙なダンスで、ティベリウスには見ものでもあったのだが―――娘のウィプサーニアに叱られるという、憎めない面もあった。大体、重々しさはあっても「気品」などとは無縁の男だったのだ。

 ウィプサーニア。

 あなたを守りたかった。アグリッパ殿亡き後、わたしは義父の墓前で誓ったのに。妻の細い肩を抱き、ずっと守り続けると約束したのに。何故、わたしはいつも守りきれないのだろう。大切な者たちを。妻を、弟を、息子を―――いつも心から愛してきたのに。

「どうか、それだけはお赦し下さい、アウグストゥス………」

 アウグストゥスはティベリウスの背を軽く叩いた。短い沈黙があって、アウグストゥスはぽつりと言う。

「赦せ、ティベリウス」

 再び沈黙があった。


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