妹の家出
―お姉ちゃんはいつもそうよ!大事なことは全部私に押し付けるくせに、私が頼った時はちっとも味方してくれない!
―お姉ちゃんなんか、大っ嫌いよ!
昨日、妹から言われたことが頭から離れない。
妹の言葉は、日頃彼女が穂乃花をどのように思っていたのかを切に表すものだった。
しかし茉莉花がそう感じているのも無理はない。
期待されるのは茉莉花なんだから、彼女がすべてを担うのが当たり前だと、どこかでそう思っていた。
期待されていない自分は茉莉花のように頑張らなくていいと。
いくら完璧とはいえ、まだ15歳の彼女にすべてを押し付けていたのだ。
嫌われるのも、当然だろう…
「―か!穂乃花ってば!」
「え?」
耳元で聞こえる声に、なんだろうとそちらを振り向けば、教室の穂乃花の前の席に、椅子だけこちらに向けて座っている美月が眉間にしわを寄せてこっちを見ていた。
「え?、じゃないわよ!いつも以上にぼーっとして、何かあったの?」
怒った口調ではあるが、彼女なりに心配してくれているようだ。
「別に、なんでもないよ。あ、ちょっと眠たいだけ」
「ふーん…それで、今度ね、吹奏楽部で…」
美月の訝しむ表情に、眠たいだけ、と慌て付け加えると、未だ納得いかない様子ながらも、自分の話を始めた。
あ、と吹奏楽部の話を茉莉花にしていなかったことを思い出す。
そもそも、昨日はそれどころではなかったが。
いつものような明るい表情ではなかったものの、茉莉花は昨日の夕食も今朝の朝食も、ちゃんとダイニングで食べていたから、とりあえず家出は実行されていないようだ。
入学式にも出るだろう。
タイミングを見計らって、ちゃんと彼女に謝ろう。
そしたら、もしかすると家出を考え直してくれるかもしれない。
なんと言ったって、皆に茉莉花は愛されている。
彼女にとっても、ここは居心地の良い場所だろう。
そう、簡単に考えていた。
「―穂乃花?」
「え?」
「もうっ、また聞いてなかったんでしょう!」
「あ、ごめんごめん、ちょっと考え事してて…」
恨みがましく睨んでくる美月に、慌てて謝り弁解する。
「さっきは眠たいって言ってなかったかしら?」
今度は顔を近づけて探るような目で見てきた。
「えっ…あ、目は、覚めたんだけど、えっとね、…」
内心冷や汗を流しながら慌てて言い訳を考えるも、何も思いつかない。
そんな穂乃花の様子に美月は、はぁー、と大きな溜息をついた。
「何があったか知らないけど、あまり1人で抱え込まないほうがいいわよ」
「美月…」
呆れたように、でも少し心配しているような口調に、胸が温かくなる。
「どうせ、穂乃花に悩んでる表情なんて似合わないんだから」
「う…」
それはそうかもしれないが、あんまりな言い方じゃないのか。
少しの感動を返してほしい!
「確かに穂乃花の憂い顔なんて気持ち悪いだけだな」
「要!」
穂乃花の机に手をつきながら会話に横入りしてきたのは西園寺要。
茉莉花の許嫁、充さんの弟であり、穂乃花や美月の同級生で、藤波学園の生徒である。
どさくさに紛れて言った悪口は、まあ見逃してやろう。
「そういえば、兄貴も何か悩んでたな。なんだ、最近の流行か?」
悩み事を持つことが流行ることはないだろう…。
真面目な顔で考えている要は頭が少しおかしいのかもしれない。
気になるのはそれよりも、充さんのことだ。
「何かって、充さん、何に悩んでたの?」
「いや、相談されたわけでもないからはっきりとは分からないけど、茉莉花に関する事みたいだった」
茉莉花、と聞いてドキッとする。
昨日彼女に言われたことが衝撃的で、未だに動揺しているようだ。
「確か、茉莉ちゃんが冷たい、とかなんとか言ってたような…」
「何々、倦怠期なの?」
要の言葉に美月が興味を持ったように身を乗り出した。
まったく、こういうことが大好きなんだから、美月は。
そもそも、2人は付き合っているというより…
「―はい、皆さん。そろそろ、体育館へ向かってください」
穂乃花のクラスの担任教諭の一声でおしゃべりは中断となり、他の生徒達と共に体育館へと向かった。
入学式が厳かに始まると、ざわざわしていた体育館も静かになり、いよいよ新入生入場の音楽が奏でられ始めた。
周りに合わせて、拍手を始める。
藤波学園では成績の高い順にSSクラス、Sクラス、Aクラスに分かれていて、茉莉花はトップクラスのSSであるはずだ。
最初に入場してきたのはAクラスのバッジを着けた生徒なので、茉莉花は最後のほうに入場してくるだろう。
入学式が始まる前、保護者席で両親を探したが、2人ともいつも通りの様子で席に着いていた。
やっぱり、茉莉花はちゃんと来ているんだ、とほっとした。
心のどこかでは茉莉花の家出を懸念していたのだろう。
Sクラスの入場も終わり、SSクラスが入場し始めた。
やっと来た、と茉莉花の姿を探し始める、が、なかなか見つけられない。
きょろきょろと探しているうちにとうとう全員が入場し終わり、席に着いてしまった。
嘘、
嫌な予感が頭をよぎった。
いや、もしかしたら見過ごしたのかもしれない、と考え直す。
嫌な予感を抱えたまま、校長によって新入生全員の名前が呼ばれ始めた。
先程同様、Aクラスから呼ばれていき、とうとうSSクラスの番になる。
「―淵藤春、鳳フラヴィニー茉莉花、彼女は欠席のようです。大宮侑李、…」
「っ…」
欠席って…茉莉花は、学校に来ていたんじゃ…
呆然としていると全生徒の点呼が終わり、校長の話が始まる直前に1人の男性教諭に呼ばれ体育館の外へ連れ出された。
出てすぐの廊下に、両親と奈実子さんが立っていた。
茉莉花の世話係である奈実子さんはオロオロし、母菫は怒った表情を浮かべ、父ディオンは難しい顔をしている。
穂乃花が近づいてくると、菫はばっと娘に駆け寄ってきた。
「穂乃花、あの子から何か聞いていない!?」
「何か、って…」
あの子が茉莉花を差し、何かが家出の事についてだということは分かっていたが、普段の可愛らしい顔が嘘のような恐ろしい形相で娘の肩を掴んで問い質してくる母に、思わず言い籠ってしまう。
「…茉莉花が、どうかしたの?」
「どうもこうもないわ、あの子ったら、家出したのよ!」
「っ…」
ショックだった。
分かってはいたが、取り乱した母から実際に言われると、一気に現実味を帯びてくる。
「本当に何も聞いてないの!?」
「菫、少し落ち着いて」
何も答えない娘にしびれを切らして肩を揺さぶる妻をディオンがどうにかなだめようとしている。
そんな2人の声も聞こえないくらい、穂乃花は呆然としていた。
茉莉花が、本当に家出してしまった―