妹の爆弾発言
始業式をとっくに終え、夕日の差し始めた教室。
他の生徒たちは帰ったか、部活へ行ったかで、気づけば残っているのは自身の机に伏せてうたた寝をする、鳳フラヴィニー穂乃花ただ一人になっていた。
「穂乃花!まだここにいたの?」
不意に聞こえてきた足音に、ドアの開く音、呆れた声に、穂乃花は俯せていた顔をゆっくりとあげた。
声のしたほうを見やると、声同様、呆れた表情を浮かべた初等部からの友人、大倉美月がスクールバッグを肩にかけて教室の入り口に立っている。
「美月、あれ、部活は?」
「何時だと思ってるのよ?もう大概の部活が終わって、皆下校し始めてるわ」
眠たい目を擦りつつ聞けば、またも呆れた視線を返された。
「まさかと思って来てみれば、まったく…。ほら、もう帰るんでしょう?」
溜息をつきながらも、昔から何かと面倒見のいい友人は傍まで来て、穂乃花の机の横に掛けられたバッグを手に取り、下校を促す。
ありがとう、と礼を言いつつ立ち上がり、美月からバッグを受け取ると、二人並んで校門まで歩き始めた。
美月の言う通り、皆下校する時間のようで、窓から見える校庭にもほとんど人影がない。
「そういえば、明日は入学式ね。久しぶりに茉莉花ちゃんに会えるわ」
ふふ、と嬉しそうに微笑む友人を横目に、こっそり小さな溜息をつく。
鳳フラヴィニー茉莉花。
穂乃花の2つ下の妹で、明日、穂乃花や美月の通うこの藤波学園の高等部に入学するのだ。
ただし入学するといっても、実質は中等部から進学するだけなのだが。
この学園は裕福層の子息令嬢が多く通うことで有名なエスカレーター式の学校だが、その敷地がとても広いため、同じ学校に通っていても初等部、中等部、高等部は関わりが少ない。
「でも茉莉花ちゃんが入ってきたら、また男子達が賑やかになるわね。高等部から入ってきた外進生は、きっと初めて茉莉花ちゃんを見るんだから」
「…そうね」
微笑みを、少し困ったような笑みに変えた美月に、適当な相槌を返す。
確かに茉莉花は、稀にみる美少女だった。
フランス人の父親譲りの栗色の柔らかな髪に、同じ色の瞳、鼻筋が通った小さな顔。
ぱっちりした二重の大きな目に、ぷっくりとした桜色の小さな唇はきっと日本人の母親に似たのだろう。
それに対し穂乃花は、母親譲りの黒髪に黒色の瞳、父親譲りの薄い唇に奥二重の眠たそうな目。
一つ一つをとってみればそれなりに整った顔をしているのだが、茉莉花の隣に並べばすぐに彼女の引き立て役となってしまう。
2人が似ているのは、身長くらいであった。
「あ、そうだ!茉莉花ちゃん、もう入る部活は決めたのかしら?」
「え?私は何も聞いてないけど…」
「そうなの?まだ決めていないのなら、是非吹奏楽部に入ってほしいわ!」
そういえば、吹奏楽部である美月は前々から茉莉花を吹奏楽部にほしがっていた。
それもそのはず、茉莉花は可愛いだけでなく、頭も良ければ手先だって器用で、なんでもソツなくこなしてしまうのだ。
穂乃花は特別勉強ができるというわけでもなく、手先が器用ということもなかったが、運動だけは少し人より上をいく自身があった。
が、もし茉莉花が重度の喘息持ちでなく普通に走り回れたら、運動神経も穂乃花に勝っていただろう。
美月は、まだ中等部の頃に学年ごとの合唱コンクールで茉莉花が弾くピアノの音を聴き、目をつけていたようだった。
それから、美月と2人で他愛のない話をしている間に、気づけば校門前まで来ていた。
校門の前には、私達を迎えに来た黒塗りの高級車が2台停車している。
「じゃあ、部活のこと、茉莉花ちゃんによろしくね!」
美月はそう言って、車に乗り込み帰って行った。
部活のこと、とはおそらく、吹奏楽部をお勧めしろということだろう。
そんなの、明日会うんだから自分ですればいいのに、という言葉を飲み込み、穂乃花も車に乗り込んだ。
「お姉ちゃん!」
家につき、自身の部屋に入ろうとドアを開けたところで、横からめったに聞かない大きな声で呼ばれた。
振り向けば、茉莉花がこちらに駆けてくるところだった。
「茉莉花!駄目じゃない、走っちゃ!」
「だってっ…」
「いいから、ほら、ここに座って」
今にも穂乃花に泣きつく勢いの茉莉花を慌てて部屋の中の手近なソファに座らせる、と、茉莉花は軽く咳き込んだ。
「奈実子さん呼ぶ?」
私達のお世話係の名前を出すと、茉莉花は未だ咳き込みながらも首を横に振った。
仕方ない、と茉莉花の隣に座り、彼女が落ち着くまで背中を撫でていることにした。
それにしても、いったいどうしたというのだろう。
茉莉花はいつもはお嬢様らしくおしとやかで、もちろん病気のこともあるが、先程のように走ったりなんてしない。
それに何より、二人きりの時以外は穂乃花のことを“お姉ちゃん”と呼んだりしない。
さっきは2人しかいなかったとはいえ、誰もが通る廊下でそう呼んだのだ。
きっと、よほど慌てていたに違いない。
何か大変なことがあったのだろうか、と心配し始めた頃、漸く茉莉花が落ち着いたようで、ゆっくり口を開いた。
「…さっきはごめんね、お姉ちゃん。私、ちょっと焦っちゃって…」
「それはいいけど、何に焦ってたの?」
申し訳なさそうに眉を下げ、謝る妹にできるだけ優しい口調で尋ねてみる。
「実は…」
真剣な表情で姉を見つめる茉莉花に、何か嫌な予感がした。
「私、家出したいの」