D1mens1on
「ただいまサッキー!」
透き通ったハイテンションの声が狭い部屋に響く。だが坂城は体勢を崩さず、ひたすら窓の外の景色に集中しながら、まるで呪文のように幽霊の説明を続けた。
「つまり個人のストーリーや民話によっては幽霊は人間に対して友好的な存在でもあるし、逆に害なすものでもある。だがどれも確証的な証拠はない。心霊写真や心霊映像の大半はでっち上げだ。たとえばオリーブと呼ばれる……」
天野は当惑した。後ろの少女の声は確実に坂城のことを指している。なぜならこの部屋には彼以外の人間はいなかったし、最初に部屋に入ったときには幽霊の存在は確認できなかった。ではなぜ坂城はその声を無視しているのであろうか。
「うーん……サッキー取り込み中かー」
さっきと同じ声が背中から聞こえ、天野は振り返って誰が来たのか知りたい衝動に駆られたが、藤井が未だ心霊現象を熱演しているがために振り向こうに向けなかった。
「ほらチーちゃん、邪魔しちゃだめだから行こ?」
「でも顔だけ見ていいよね?久しぶりの女の子だもん」
そう言って声の持ち主は威勢よくジャンプして空中に舞いあがり、そのまま天野の間隣りに座った。座った瞬間、風が舞い上がり、天野はその風に吹かれながら驚きを隠せない表情でとなりの少女の顔を見た。
淡い栗色のショートカットと雪のような白の布地に夏の空のような空色のラインの入ったセーラー服がまるで出航する船の旗ようになびく。そして細い顔立ちをし、髪の毛と同じ色の大きく開いた瞳がぐっと近づき天野の顔を観察した。
「なかなか可愛い顔ねー」
ニコリと明るい笑顔を天野はどう受け取っていいのか困ったが最終的に
「ありがとう……ございます」
と小さくお礼を言った。
そこで少女は不自然さに気づいたらしい。
「どわ!見えてる!」
と叫んだあと全速力で連れ添いの背の高い女の人の後ろに隠れてしまった。それでも顔の端をその女の人の腕と体の隙間から細く頭を出して、警戒と興味深さを混じ合わせたような様子で天野を凝視した。
その一部始終を見ていた坂城は手に口を押え、息を殺すように笑っていた。
「坂城さん、これは……」
「サッキー!さては見える子を連れてきて、あたしに恥かかせよーとしたね!」
坂城はようやく笑うのをやめ、呼吸を少し整えた。
「いや、彼女は正式なクライアントだ。自分は霊が見えると言っているもんだから、お前に一役買ってもらったんだよ」
それでも少女はほっぺたを風船のように膨らましている。
「でもずいぶんとめずらしいですね、見える人が来るなんて」
女の人も天野の顔をとっくりと眺めながらそう言った。だが少女とは違い、長いヤマブキのような黄色のさわやかな冬用の厚地で長袖のついたロングドレスを着ており、鼻にはおおきく丸いめがねが乗っている。先の少女のような、くりっとした大きな目ではないが、細くて落としやかなまぶたの隙間からは柔らかな視線が溢れ出ていた。
「ちょっと……おかしな捜索依頼なのでネットで『なんでも』って書いてあった、ここを選んだんです」
「どうせ迷子のペットの捜索だろ?幽霊の」
坂城は再び赤いソファに座った。そして目の前のティーポットに手を伸ばし、紅茶をなみなみと注ぎ始めた。いつの間にか少女も坂城のとなりに座り、ポットから流れ出るお湯の流れを眺めていた。
「あ、はい。そうなんです。でもどうして……」
「話の流れだ」
今にも零れ落ちそうな量の紅茶が注がれたティーカップを少女に乱暴に渡しながら、藤井はつまらなそうな顔で溜め息をついた。まるで説明することすら簡単すぎるような様子だった。
「過去に一回だけあったんだよね」
少女は藤井から受け取ったお茶を一気に飲み、至福の笑顔で安堵した。
「私たちのほかに見える人が?」
「死んじゃったよ」
少女はそっけなく答えた。
「えっ」
「末期ガンだったらしいからな。どっちにしたって今更どうにかなる話じゃない」
「そう……ですか……」
天野は視線を落とした。その先にはさっき見たときには湯気が立っていたはずの紅茶がすでに色あせていた。最初は遠慮が紅茶に手を伸ばすことをためらっていたが、今では自分がまるで目の前の赤い液体のように感じさせられずにいられなかった。まるで色の沈下のように期待に染まった心が現実によってまるで違った色に塗り替えられていく。
そっと手を伸ばし、生ぬるい紅茶を一口飲む。味の抜けた紅茶は天野の体温と変わらなかった。
「だが今はその猫を探すことにでもするか」
「いいんですか?」
「どうせこういう仕事ばっかりさ」
坂城はそう吐き捨てるように言うと立ち上がり、木製の洋服掛けに寂びそうに引っかかった深緑の中折れ棒帽を頭の上に乗せた。
「それじゃ、案内でもしてもらおうかな」
その言葉に天野は無言で小さく頷いた。