ロヴィーナ
主人公は女性です。
容姿の描写は特にないのですが、一応設定はあります。書いてないけど…。
「おい!3区で魔物が出たぞ!」
「なんだとっ!?おい、手ぇ空いてるやつは3区に向かえ!」
私はギルドで一人珈琲を飲んでいた。
何やら背後が騒がしい。
「おい、名無!テメェもだぞ!」
「…分かった。そう怒鳴るな」
「分かってんならさっさとしやがれ!」
ギルドのカウンターがしつこく私を急かした。
私は深くため息を吐いて珈琲を飲み干す。
それから手を組んで腕を上げ、ぐっと身体を伸ばした。
椅子から立ち上がり、隣の椅子に立てかけてあった刀を掴んだ。
鞘から刀身を抜くと、刀身は鋭く私の目元を映す。
その刀身が一瞬、何色かを映した気がした。
「…さて、行こうか」
魔物とはこの法のない国、ロヴィーナに発生する異形の者たちである。
それらは人間からかけ離れた形をしており、種類も、生態も分かってはいない。
…というのは建前だ。
魔物とは第6区にて毒素を取り込み自我を失い異形と化した人間のことを言う。
彼らが元に戻る術は無く、殺すしか方法はない。
名無は立ち並ぶ屋根の上を走っていた。
魔物は3区…商業区に出たという。
ギルドは全ての区に支部を持っていて、名無は4区のギルドで珈琲を飲んでいた。
屋根の上を走るとどうしても注目を浴びるが今の名無にはどうでもいいことなのだろう。
少し遠くで銃声がして、建物の崩壊する音と煙が立ち上るのが見える。
名無は走る速度を上げ、煙が立ち上る場所へ急ぐ。
名無がその場に到着すると、既に何人かギルドに登録しているメンバーがいて、一般人は逃げ出していた。
「状況は」
「うお!?…あんたは名無か!見りゃ分かるだろ!魔物からの攻撃を受けてんだよ!」
屋根から降りて魔物を狙う狙撃手に声をかけた。
彼は名無の姿に驚いて、それから面倒臭そうに怒鳴り返した。
「そうじゃない。幾つ当てた?」
「…いくつも当ててねぇよ!!」
逆ギレした様子から、狙撃手は一発も魔物に当てていないようだ。
名無は狙撃手の言葉に軽く考え込み、それから狙撃手を遮った。
「私が行く。手出しはするな。お前たちの仲間にもそう連絡を入れろ」
「あぁ!?横取りすんのかぁ!?」
「…撃ちたければ撃てばいい。当てられるのならな」
名無はそれ以上何も言わず、狙撃手を置いて走り出した。
魔物に怯えつつも対峙するギルドのメンバーの横を通り抜け、名無は魔物に肉薄した。
魔物は猿に似た姿をしている。
とは言え成人男性よりも二回りほど大きく、全身は赤い毛で覆われ、手足は異様に長い。
口は裂けているかのように大きくそこから見える歯は恐ろしく鋭利だ。
また、頭部にはねじれた角が2つ生えている。
名無に気付いた魔物はその長い手の爪で名無の刀を受け止めた。
名無は表情を変えずに一旦退く。
魔物は名無を敵と認識したようで、名無に向き直る。
名無は周囲の建物を確認し、もう一度魔物に刃を向ける。
今度は魔物が名無に迫った。
名無は高く跳躍して、魔物の爪を避ける。
それから建物に飛び乗り、魔物を見下ろした。
魔物もまた名無を追って建物に飛び乗る。
名無は魔物を誘導するように駆けた。
名無が向かう先は6区…魔物の発生源と言われる場所だ。
名無は6区を囲う墓地に辿り着くと走るのを止めた。
魔物もまた名無と同じように動きを止める。
「…すまない」
名無はそう呟き、一瞬にして魔物の命を刈り取った。
その時、一瞬だけ元の姿に戻った魔物だった者は、微かに笑みを浮かべていた。
「……し、……名無!」
名無は突っ伏していた円卓から顔を上げた。
名無の視線の先には5人の人間。
彼らは区の管理者。
王帝と呼ばれるロヴィーナの最高権力者達である。
「…なんだ?」
また、名無もその権力者達の一人であった。
ただし、6区の管理者、だが。
「あのさァ、いい加減賠償どうにかしてくれないかなァ?魔物のおかげで僕たちはひじょーに多大な被害を被ってるわけなんだよねェ」
彼はサリハン。第2区の王帝である。
2区は魔法と呼ばれる不可視のエネルギーを利用し、6区からの魔物出現を“抑える”役割を果たしている。
「ふむ…確かに賠償は必要だね。我が1区でも多大な被害が出ている」
「…1区はお金持ちでしょ?あたしらの商業区は商品に影響が出ているのよ」
「それなら私たちの5区もですよ」
「…俺の4区もだな」
それぞれの王帝がそれぞれ主張し、段々と口論に発展していく。
それを当事者であるはずの名無は眺め、つまらなさそうに欠伸をして、また机に突っ伏した。
そうして、また呼ばれる。
これを何度も繰り返す会議に名無は意味など無いと分かっていた。
だが、止めるつもりはない。
どんな結論になるにせよ、6区は賠償など払えないし、魔物しかいない6区に発言権などないのだ。
そのうちいつものように収まるだろうと名無は無視を決め込んでいたのだが、意外なことに今日は誰も引かない。
それぞれがそれぞれの主張を押し通そうと必死になっている。
珍しい光景に名無は顔を上げて彼らを見た。
よく観察すれば、なにやら彼らは焦っていた。
名無はその理由を頭の中で探す。
その中で一つの事件がヒットし、名無は唇の端を少しだけ上げた。
どうやら、彼らはその事件を追及されるのを恐れていたようだ。
名無は体をゆっくり起こし、柔らかく弾力のある椅子に体を預けた。
それから、殺気を放つ。
殺気を受けた5人の王帝は、ピタリと口論を止めた。
それから、ギチギチと音が鳴りそうな様子で、顔を名無に向けた。
「…全く、毎度毎度くだらない口論は止めにしないか?」
名無の発言に、誰も何も言えなかった。
「賠償、か。いいだろう。お前たちに一つ知識を授けてやる。魔物は6区で毒素を取り込み、体内に蓄積させている。それが魔物の核だ。その核は宝石のように美しく、また、魔法に必要な魔力を多く含んでいる。魔物を丁重に埋葬することを条件に、その核を取り出すことを許可しよう」
名無の言葉に、5人は目の色を変えた。
宝石のように美しければ、富裕層が多い1区では高値で売買されるだろう。
それは扱う側の3区…商業区には魅力的な話だ。
2区からしたら恰好の研究材料だし、職人の多い4区は装飾品や武器への加工に重宝するだろう。
科学を研究する科学者の多い5区からしたら、その不可視のエネルギーを研究するために必要になる。
「…丁重に埋葬、ですか」
「もちろんだ。彼らは人間だぞ?姿形が変わろうと人間なのには変わりない。埋葬される権利がある。当然、場所は6区を囲う墓地でいい」
金さえ払えば喜んで埋葬の仕事を引き受ける輩は沢山いるだろう?と笑顔で問えば、彼らは目を伏せるか反らすか何かしら反応を返した。
「…あぁ、そうだ。先日の“事件”だが。私はこの会議でお前たちの問に答えてやったはずだな?6区に入った人間は戻らない、と。まぁお陰で6区に住民が増えたわけだが…」
先日、6区にギルドから“調査隊”が派遣された。
6区に入った人間は、6区から出た瞬間から異形へ変化する。
6区にいる間は普通の人間として暮らせるが、例え爪の先だろうと6区から出れば、それは異形と化す。
そのことを彼ら5人は知っていたはずだ。
「…二百年前の遺産に目が眩んだ俗物たちに教えよう。例えどれほど強固な結界をお前たちが使ったとしても、6区に入れば正気を保って6区を出ることは無理だ。…お前たちの“先代”たちのようになりたくなければ、無駄な努力は止めることだな」
名無はそれだけ言って、パチンと指を鳴らした。
薄暗い部屋から5人の姿は消え、名無は空になった椅子を暫く眺めてから、部屋を出た。
6区に住む者たちは6区から出れば正気を失い、人を襲うことを承知している。
友人や恋人、家族に会えないを除けば、6区がとても住みやすい場所であるということも。
会議をしていた部屋から出た名無は大きな廊下を歩き、外を目指した。
会議をしていた部屋は6区にある。
6区の中心には城があり、その城の中は外と同じ空気をしている。
だから、王帝たちは魔法を使って来れば魔物にはならない。
また、6区の住民は城には入らない。
暫く歩くと広い場所に出て、その先には大きな扉があった。
名無はその扉に向かって進み、先ほどと同じように指を鳴らした。
その音と同時に扉は開き、光が差し込む。
扉の先はかつては美しかっただろうと予想される荒れた庭が広がっていた。
城から出て、また指を鳴らすと扉は閉じる。
荒れた庭の微かに見える石畳を歩き、城と庭を囲う塀の門へ進む。
門の先には、ロヴィーナの3区に勝るとも劣らない賑やかな光景が広がっていた。
6区の中では普通に植物も動物も育つため、6区の人間は飢えることはない。
肉を売る者、野菜を売る者、6区内にある川で穫れた魚を売る者、服を売る者、楽しそうに遊び回る子供たち。
外の景色とほとんど変わりない。
一つあげるとすれば、住民の中に体の一部が異形と化した者がいる程度だろうか。
「…あ!名無さん!」
「お!名無さんじゃねぇか!」
「名無ー!遊んでー!」
名無を見つけた住民たちは次々と名無に声を掛け、野菜やら装飾品やら、何やらを名無に渡していく。
それに名無は困ったような微笑を返す。
「こんなにもらって悪いな。…すまない、アレンを知らないか?」
「あぁ…あの男の子なら川へ向かったのを見ましたけど…」
「そうか。みなさえよければアレンのことを気にかけてほしい」
名無は再度贈り物に対する礼を言い、川へ向かった。
その様子を住民たちは黙って見つめる。
「…名無さん、責任を感じてるのかしら…」
「名無さんのことだからなぁ…あの人は俺らに対してもいつも責任を感じてらぁ」
「悪いのはあの人じゃないのに…」
「でも、原因はあの人にもあるって話だろ?」
「…それでも」
住民たちは消えた名無の背を思い出す。
名無がこの6区を望んで作り出したわけではないことはよく分かる。
そして、住民たちのためにどうにか毒素を取り除こうとしていることも。
だから、住民たちは思うのだ。
いつか、名無が幸せそうに笑う日がくればいい、と。
川の側に、小柄な少年が座っていた。
11、2くらいの年頃だろうか。
少年は所々解れたみすぼらしい服を纏い、靴は履いていない。
手足は泥や煤で汚れている。
名無はその少年に声を掛けず、ただ見守っていた。
彼は先日のギルドからの“調査隊”についてやってきた子供だった。
正式なギルドの者ではない少年は、魔物に対する復讐のために6区へやってきたらしい。
だが、6区の中の光景を見て少年は何に復讐すればいいのか判らなくなってしまったのだろう。
持て余す憎しみという感情をどうするか…今の時間は少年の答えを出すために必要だった。
名無は貰った物の中から瑞々しい梨を取り出す。
「アレン」
名無が少年に声を掛けると、少年の肩がびくりと震えた。
けれど少年は振り返らなかった。
それを分かっていた名無は少年の隣へ行き、腰を降ろす。
それでも少年は動かなかった。
頑として名無を見ないよう前を向いている。
名無は少年の膝に梨を置く。
少年はそれを掴み、川へ投げ込もうとした、が。
「…いいのか?」
少年は投げず、もう一度膝へ戻した。
名無は少年がどのような行動を取ろうと止めるつもりはなかった。
だから、6区に来てから食べることを止めた少年に無理に食べさせることはしなかった。
その少年がはじめて食べ物を拒まなかった。
「…俺、6区から出たらどうなる?」
「魔物になるな。自我を取り戻せるのは死ぬ直前だけだろう」
「…これ食ったらさ、魔物になりやすくなるか?」
「食べ物は関係ない。毒素を吸い込むのは人間だけだ。空気に含まれる毒素を吸い込み、その毒素が余りにも多ければ体の一部が魔物になるが自我は失わない」
名無の話を聞いた少年は、ゆっくりと、梨を口に含んだ。
「…っ、うぅっ…」
静かに嗚咽を漏らした少年に名無は何も言わず、立ち去った。
名無は城の窓辺に座って月に照らされた6区の街並みを見る。
…いつか。
いつか、“もう一度”ロヴィーナの全ての人間が6区の街を歩ける日がくるといい。
懐かしい日々を思い出しながら、名無は緩やかに目蓋を閉じた。
読んでくださってありがとうございました!
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