非日常的日常風景
次の日の朝、僕はいつもと変わらず家を出て学園へ向かった。
その途中、ふらふらと歩くマイクの姿を見つけた。
「おはようマイク。 昨日も徹夜か?」
「ああ……おはようバル……」
徹夜の事については冗談で言ったつもりだったが、マイクはそれを否定しようとはしてこない。
「お、おいマイク……大丈夫か?」
「だ、大丈夫だ……徹夜で宿題やってたからな……」
「そ、それはお疲れ様です……」
思わず敬語になってしまう。 それだけマイクはお疲れなのだ。
「あ、バルにマイクじゃない。 おは……って、えっと、マイクは生きてるの?」
「生きてるとは思うぞ……多分」
「あ、え、えっと、おはようございます……」
「おはよう、ピノ」
「二人ともおはよ……」
「本当に大丈夫なの?」
「あ、嗚呼……流石にこれで歩かせるのは危険だと思うし、僕がどうにかしとくよ」
「バルが俺を背負ってくれるのか?」
「背負わねえよ! まあ痛いようにはしないから、適当に寝てろよ」
「悪いな……」
そう言い残し、マイクは立ちながら眠りに就いた。
と、思いきや地面に倒れ込んだ。
「で、これどうするのよ。 ここに置いていく訳にもいかないでしょ?」
「大丈夫だって。 僕のチカラを忘れたのか?」
「チカラ……嗚呼、そういう事ね」
僕は目を瞑り、対象者であるマイクの姿をイメージし、心の中でこう唱える。
「動け!」
僕は何か感覚を掴み、目を開ける。
成功だ。
「じゃあ学園行くか」
「ふ、普通じゃ無い事をしておいて、ノリが軽いわね……」
「普通じゃ無いって言っても、このご時世じゃ比較的普通の事じゃないか?」
「そ、そうなのよね……。 でも操作に失敗して壁に激突とかさせないであげてよ。 流石に可哀そうだから」
「分かってるって」
「……」
「ピノ、どうしたんだ? 無口になって」
「あ、いえ、二人を見てて微笑ましい光景だなって……」
「微笑ましい……か」
「きゃっ」
不意に、僕はピノの頭を撫でたいと言う衝動に駆られ、その気持ちを抑える事が出来ず、勢いだけで優しく撫でてしまった。
「ちょ、ちょっとバル! 何やってるの」
「なんか撫でたくなった」
「なんかって、どうしてよ!」
「やばいと思ったが、撫でたいと言う衝動を抑えきれなかった」
「それは見れば分かるわよ!」
「今のは流石に茶化したような表現だったけど、ピノを見てて、何と言うかこう、慰めてあげたいって言うか何というか……」
「意味が分からないわよ!」
バシンと言う大きな音が鳴り響き、直後、僕の右頬からは鈍い痛みが顔全体に響き渡る。
「いたっ!」
「マイクのような事をバルもやるなんて思ってなかったわ」
「マイクのような事って、若しマイクが起きてたら僕と同じような事をしてたと思うぞ」
「よく分からないわ。 男って」
「男になればよく分かるさ」
「……開き直りやがって」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
膨れっ面なポニーを後目に、僕はマイクを操って学園へ向かった。
学園の前に着くと、不意にマイクが目覚めた。
「おはよう……ここどこだ……?」
「ここは学園の直ぐ前だよ」
「いつのまにここまできたんだ……?」
マイクはまだ寝ぼけているようで、未だに足取りは覚束無いが、それでも今僕達が向かっている方向に逆らわず、学園へ向かって足を進めている。
「いや……俺が運んだんだけどな……」
「そ、そうだったのか……」
「で、なんでそんなに眠い訳?」
「しゅくだいだよ……」
「なんであの宿題でそんなに時間が掛かってるのよ」
「かくことじたいはそこまで――」
痺れを切らしたのか、マイクの頭をポニーがグーで殴っていた。
「いてぇ!」
「目を覚まして喋りなさい!」
「悪い悪い……」
「もう一回言うけど、なんでそんな時間が掛かったのよ」
「だから、書く事自体はそこまで問題無かったんだよ」
「ならなんで徹夜したんだ?」
「なんか書き終わったと思ったら声がしたんだよ」
「声? どういう事だ?」
「なんかな、お前の字は汚いだとか、もっと丁寧に出さないと未提出扱いにする、とかって耳元で囁いてるんだよ」
「それマイクの家に隠しカメラでも設置されてて、マイクを監視してるんじゃないのか?」
「監視カメラだと……」
さっきポニーに殴られてはいたが、それでも若干眠たそうにしていたマイクの顔が、一瞬にして何かに怯えたような顔になる。
「い、いや、あくまで一つの可能性だからな……?」
「それでもこええよ!」
「でもアレじゃない? 若し部屋のどこかに隠しカメラが設置されていたとして、ならなんで声が聞こえたのかって話になると思うんだけど」
「それはアレだろ? 幻聴」
「猶更怖いわ!」
「まあ冗談は置いといて、真面目に考えるなら先生の中にそういう能力を持った人が居るんじゃないの?」
「嫌らしい能力だな……」
「確かに、そういう人は優遇されてるって聞きますね……」
「優遇って……俺ら生徒にしてみたら迷惑な話だ……」
「まあそうでもしないと宿題を出さない人の対策を出来ないんじゃないか?」
「そいつはどんだけ宿題をやりたくなかったんだよ……」
「昨日のマイクのようだわ」
「いやいや、そんな奴と俺を比べんなよ」
「……」
「…………」
「なんでお前らは黙るんだよ!」
「いや……どう考えたってマイクだろ」
「だよね」
「……」
「バルとポニーは一旦置いといて、ピノの無言が一番怖いんだけど!」
「ピノが余り喋らないのはいつも通りだろ」
「いつも通りだけどいつも通りじゃねえよ!」
「え、えっと……否定は出来ない……かな?」
「ひ、否定出来ない……」
「あ、マイクが落ち込んだ」
「あ、いえ、その、えっと……」
「ピノ、大丈夫だ……」
「いや明らかマイク大丈夫じゃねえから!」
「多少凹んでるがそこまで気にしてないから! 気にしてないから……」
「そ、その、ごめんなさい……」
「だ、だから謝らなくていいよ……悪いのはバルとポニーだから……」
「なんで僕達なんだよ!」
「完全に責任転嫁してるじゃない!」
「俺が法律だ」
「何がよ! と言うよりいきなり素に戻らないでよ!」
「俺がそいつを悪いと言えばそいつが悪くなるんだよ! 今決めた」
「……どこに縛り付けてあげようかしら」
「す、すいませんやめてください」
「すいません?」
「すみません……」
「別にそんな言葉使いはどうでもいいのよ!」
「じゃあなんだよ!」
「なんか気に入らない」
「気に入らないとか理不尽だ!」
段々と訳の分からない方向へ向かっていく会話。
しかし、その会話のひと時に横槍を入れる者が現れる。
「おい、お前ら何を騒いでいる」
「あ、先生おはようございます」
「おはよう……じゃなくてなんで学園前で騒いでるんだって聞いてんだよ!」
「ぼ、僕はこの話題に関係無いのでひと足お先に……うわっ!」
この場から一人、そそくさと去ろうとした時、何故か身体が動かなくなる。
「この場から逃げられるとでも思ってんのか? あぁん?」
随分と威圧的な先生だと思ったが、今はそんな事関係無い。
若しかして、この人が時を止めているのか……いや、寧ろこれは石化の魔法だ。
しかし、何故こんな珍しい魔法を持った人がこの学園に居るのであろうか。
しかも、小さな生物では無く人一人を止める力が有る事からして、かなりの上級者……いや、これだけの力が有るなら学校以外の場所でも十分活躍できただろう。
それにしても、身体が動かないのは新鮮な感覚だ。
人によっては、魔法発現時に金縛りに遭う人も居るらしいが、幸か不幸か僕はその現象が起きずに魔法が発現してしまった。
なので、身体が動かないと言う経験をした事が無いのだ。
しかし、俺が完全に動けなくなった訳では無い。
多分自分を対象にすれば僕の能力で移動する事は可能だ。
ただ、それを行った所で身体が動くようになる訳では無い。
こういうタイプの能力は発動者自身でしか解く事が出来ないので、若し魔法にかかってしまった場合は言いなりになるしかないのだ。
だからと言って、絶対解けないと言う訳でも無い。
対象魔法と反する魔法を持っていて、それを使用する事が出来ればその魔法を打ち消す事が出来るのだ。
また、僕はそういう人を見た事が無いが、魔法を無効化する能力を持つ人も居るらしい。
実際、それに似た能力の機械であるMagical Defeasance Contrivance、通称MDCが開発されている。
言葉を訳すと、魔法無効化装置と言う意味になるが、この機械自体はこの国で作られた物ではなく、外国から輸入された物だ。
外国でも魔法の発現例が多数確認されており、魔法研究は活発的に行われているのだ。
「……」
口を動かそうとするが、何か違和感がある。
違和感。
いや、これは違和感では無い。
さっきの魔法によって口も開けなくなっていたからだ。
これは不味い。
無言は即ち容認を意味するからだ。
しかし、どうにかして話さないといけない。
しかし話す事は叶わない。
「あ? 何か言ったらどうなんだよ!」
直後に腹に伝わる痛み。
その衝撃で僕は地面に横たわる。
動けないので受け身も取れる筈も無く、頭から倒れ込んだ。
「お、おい、ば、バル? ど、どうしたんだ?」
「な、何が起こってるの?」
驚く三人。 ピノに至ってはその場で棒立ちになっている。
「誰が倒れていいって言った? さっさと起き上がれ!」
と言いながら僕の胸倉を掴み、強引に起こし上げる。
「な、なんでバルは抵抗しないんだよ……」
「抵抗出来ないんじゃないわ……」
「どう言う事だ? ポニー」
「バルの身体をよく見てみなさい。 身体がぶらーんと垂れ下がってるじゃない」
「あ、あぁ、そうだな」
「と言う事は、身体が動かないんじゃなくて自分では身体を動かせなくなってるのよ」
「身体を動かせなくなってる……だと、頭でも打ったからか?」
「多分違うと思います……」
「ええ、あたしもそう思うわ」
「ならなんでだよ」
「多分……あの人の魔法だと思います」
「魔法だと……それにしては、随分と物理的に殴ってるように見えるが」
「何か何か言えって言ってんだよ!」
理不尽に放たれる右ストレート。
ぐっ……。
段々と薄れゆく意識の中、必死にどうにか出来ないかを考えていた。
それにしても、何故この先生は俺を殴ってるんだ?
逃げようとしたからか?
でも、なんで逃げようとしただけでこの先生は、ここまで執拗に殴って来るんだ?
そもそも、こいつは一体誰なんだ?
「てめえがなんで喋れねえか知ってんけどよ、うんとかすんとか言え!」
右手で俺の胸倉を掴み直し、そして学園のフェンスに放り投げた。
フェンスはガシャンと大きな音を立て、僕が倒れ込んだ位置にあったフェンスは僕の体重を受けてか若干歪む。
先生と思わしき何かは、再度僕を起こし上げようと僕に近付いたその時、
「やめてあげてください!」
誰かが僕と先生の間に割って入って来た。
「てめえは誰だ」
「あ、あなたに名乗るような名前なんてあ、有りません!」
小さくて気弱な少女が、僕の為に勇気を出して助けようとしている。
「あぁん? まあてめえが名前を言わなくても俺は名前を知ってんから問題ねえけどな。 なあ、ピノとかいう
無能力者が」
「くっ……」
今までにピノが見せた事の無い表情。
それは憎しみか憤りか、はたまた妬みか。
彼女の心情を察する事は出来ないが、何となく分かる気がする。
「なんだあ? 言い返せねえのかあ?」
「あなたに……」
「あなたなんかに私の気持ちが分かるもんですか!」
「ぴ、ピノ……」
「……まあいい、俺だって女とやり合う積もりはねえからな」
先生は一言吐き捨てるように言うと、その場から立ち去った。
「ま、待ってください!」
しかし、その声は届かず――。
「おい、バル、ピノ、大丈夫か!」
「いてて……あ、喋れる……」
「ピノ、バル! 大丈夫?」
「ポニーちゃん……私は平気だよ……」
ピノの緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んでしまう。
無理も無い。 普段やらないような事を自ら勇気を出してやったのだから。
「ちょ、ちょっと! 本当に大丈夫?」
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくていいから! 立てる?」
「す、少し休ませて……」
「不味いわね……今ここで休ませると学園に遅刻してまた面倒な事になるわ……分かったわ。 私が背負ってピノを学園に連れてくわ」
「そ、それはポニーちゃんが……」
「気にしないで。 ピノは軽いからあたしだって問題無く運べるから。 それに荷物はマイクが持ってくれるそうだし」
「なんで俺なんだよ……っていつもは言うけど、今回はしょうがないよな。
「あ、ありがとうございます……」
「気にすんなって。 それにピノはがんばったと思うぜ」
「本当だよ。 まさかあんな先生の前に立ち塞がるなんて思って無かった。 ありがとう」
「……」
「もう……ピノを照れさすのはやめなさいって。 可愛いけど……」
「ぽ、ポニーちゃんまで!」
「ははは。 あとバルは大丈夫なのか?」
「俺は何とか立てそうだ……いてて」
「傍から見て、腹の辺りを結構殴られていたが、どこが居たいんだ?」
「腹は別にそこまでは痛くないな……なんか上手いくらいに急所を外して攻撃されたような気がする」
「じゃあどこが痛いんだ?」
「主に頭とか背中が痛いな……多分殴られて倒れた時とか投げ飛ばされた時にぶつけたんだと思う」
「そうか。 なら荷物を貸してくれ」
「荷物? 別にいいけど……」
「これは中々重いな……左腕が死ぬ……」
「いや、流石にそれはマイクに悪いって……」
「気にすんな! 怪我人を気遣わずに誰を気遣うんだよ」
「……ありがとう」
「じゃあジュース奢ってくれ」
「まさかの現物要求かよ! いたたっ……」
ただツッコミを入れようとしただけで身体に痛みが走る。
「冗談でだって。 ほら、肩貸すから立ってみろ」
マイクが手を差し出し、俺はその手をしっかりと握った。
「それじゃあ遅刻しないように学校に向かうわよ!」
キレやすい大人と規則に厳しい大人って怖いね